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『弥生時代の歴史』藤尾慎一郎(講談社現代新書)

『弥生時代の歴史』藤尾慎一郎(講談社現代新書)

2015年
256頁




目次(収録作品)

プロローグ 弥生前史 弥生開始前夜の東アジアと縄文晩期社会―コメの出現
第1章 弥生早期前半(前一〇世紀後半~前九世紀中ごろ)-水田稲作の始まり
第2章 弥生早期後半~前期後半(前九世紀後半~前五世紀)-農耕社会の成立と水田稲作の拡散
第3章 弥生前期末~中期前半(前四世紀~前三世紀)-金属器の登場
第4章 弥生中期後半~中期末(前二世紀~前一世紀)-文明との接触とくにの成立
第5章 弥生後期(一世紀~三世紀)-古墳時代への道
エピローグ──弥生ってなに

AMS炭素14年代測定に基づき、水田稲作の開始は従来よりも500年早かったとした国立歴史民俗博物館の研究発表は当時、社会的にも大きなセンセーションを巻き起こしました。発表時には当時の常識からあまりにもかけ離れていたために疑問を呈する研究者も数多くいましたが、その後、測定点数も4500点ほどまでにと飛躍的に増加を遂げ、現在では歴博説の正しさがほぼ確定されています。
では、水田稲作の開始が500年早まると、日本列島の歴史はどのように書き換えられるのでしょうか。一言で言えば、「弥生式土器・水田稲作・鉄器の使用」という、長らく弥生文化の指標とされていた3点セットが崩れ、「弥生文化」という定義そのものがやり直しになったと言うことです。この3つは同時に導入されたものではなく、別々の時期に導入されたものでした。例えば鉄器は水田稲作が始まってから600年ほど経ってからようやく出現します。つまりそれ以前の耕作は、石器で行われていたのです。また水田稲作そのものの日本列島への浸透も非常に緩やかなものでした。水田稲作は伝来以来、長い間九州北部を出ることがなく、それ以外の地域は依然として縄文色の強い生活様式を保持していました。また東北北部のように、いったん稲作を取り入れた後でそれを放棄した地域もありました。関東南部で水田稲作が始まるのは、ようやく前3~2世紀になってからでした。
とすると、これまで歴史の教科書で教えていたように、何世紀から何世紀までが縄文時代で、その後に弥生時代が来ると単純に言うことはできなくなります。水田農耕社会であるという弥生「時代」の定義は、ある時期までは日本列島のごくごく一部の地域にしか当てはめられなくなるからです。
本書は、このような問題意識の元で「弥生文化」が日本列島に浸透していく歴史を「通史」として描く初めての本です。

出典:講談社BOOK俱楽部

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