御前会議でロシアとの開戦が決まったとき、枢密院議長であった伊藤博文は、みずから金子堅太郎に特使の依頼をし、つぎのような詩を与えた。
日露交渉マサニ断ェントス
四十余年ノ辛苦ノ跡
化シテ酔夢トナツテ碧空ニ飛ブ
人生何ゾ恨マン 意ノ如クナラザルヲ
興敗ハ他ノ一転機ニヨル……「日露関係はついに断絶せんとしている。明治維新から四十年にわたる苦労も、この一戦で消えてなくなるであろう。しかし、たとえそうなっても人生を恨むまい」……「ただアメリカのルーズベルト大統領が動いてくれれば、それが一大転機となって生き残れるかもしれない」
(引用者注:金子を渡米させセオドア・ルーズベルト大統領を通じて和平のための手を打たせる目論見であった。金子はハーバード大学に留学した際に、ルーズベルトと面識があった)
……
金子堅太郎は伊藤の漢詩に対して、みずからも漢詩で答えて、渡米を承諾した。樽俎ノ折衝 寸功ナシ
仁川ノ海上 礮丸(砲丸)飛ブ
米国ハ 幸ニ同盟ノ外ニアリ
独リ平和ノ好転機ヲ握ル「平和的な外交交渉(樽俎の折衝)でロシアの意図を挫くことはできなかった。韓国・京城(ソウル)の外港である仁川に砲弾が飛ぶことになるであろう。幸い、アメリカは中立である。彼だけが平和への鍵を握っている」