第1章 光明と暗黒は背中合せ
1 道標の文字
秋もなかばを過ぎた夕暮れの田舎道を、一人の青年がとぼとぼと歩いています、梢をわたる風にからからと舞う落葉の音も、身にしみるような寂しさでした。
やがて道は二筋にわかれたところに来ると、大きな銀杏(いちょう)の下に古びた一本んの道標(みちしるべ)が立っています。近づいて見ると、
右 くらし
左 つらし
と、二行に書いてありました。
その青年は、東京でも大阪でも失敗した果(はて)に、知辺(しるべ)をたよって漸(ようや)く岡山まで来たのですが、右は闇(くら)く、左は辛しという道標の文字は、まさしく自分の運命を表示したものだと思い込み、暗黒の天地と苦悩の世界とが左右に待ち構えているというなら、何処(どこ)へ行っても光明を見出せる筈がないと、すっかり希望を失って、ただ悄然と立っていました。そこへ白髯(はくぜん)ながく垂れた坊さんが通りかかったので、青年は急いでその前に跪(ひざまず)き、
「この道標を見て下さい、私はどうすればよいのでしょうか。」
とその悩みを訴えますと、
「あんたは何か勘違いをしているのではないかね、その下の落葉を払いのけて見るがよい。」と言ってそのまま過ぎ去りました。
青年は、急いで道標の下をうずめている落葉をかきわけて見ますと、右の下に「き」、左の下に「ま」という仮名があらわれました。つづけて読むと、「くらしき」と「つらしま」であります。即ち、右へ行けば、紡績で名高い倉敷町であり、左は連島町へ行けるということが分ったので、青年はやっと安堵の胸を撫でて、その志す方向へ急いだというのであります。

画:細木原青起
この短い話のなかに、世の中をわたって行く上に於いて深く教えられるものがあります。
私たちは、物を見るに、とかく皮相に流れやすく、わずかに眼の前に現われた部分を以て、その物の全部であると決め込んでしまいたがります。空が真黒にくもって日の光りが見えなくても、まさか太陽が消えて無くなったとおもう人はありますまいが、自分の生活の上になると、一寸(ちょっと)したことで希望の太陽を見失い、立ちあがる気力をなくしてしまう場合が多いのであります。
この話のなかの青年は、道標を見た刹那、暗澹たる自分の運命を示したものと早呑み込みしたのですが、何ぞはからん、それは旅人のために行先を教えてくれるものだったのです。その道標の下の落葉をかきわけるという、一挙手一投足の労を惜しんだばかりに、よし一時なりとも、自分から悲観の淵に陥るなぞは、愚かなことと言わなければなりません。
しかし、この青年を一概に笑えないことは、人生の行く手に横たわるさまざまの苦痛に出会うと、打ちのめされてしまう人が実に多いからであります。
学校の試験に失敗する、就職の見込みは立たない、商売は不振だ、借金がふえる、家庭はうまく行かない、会社勤めは面白くない、――などと人は何かしら悩みを背負(しょ)わされているのですが、大抵はその悩みにうち克つ見込(みこみ)がないと匙を投げて、自分の人生は暗黒そのものだと諦めたがるのであります。
元来、光明と暗黒とは背中合せ、紙一重の差に過ぎないのであります。暗黒のなかにいても、一足ウンとふんばれば、光明の世界に突き出られるのに、その紙一重のところで躓いてしまうのは、役にも立たない諦めのために外(ほか)なりません。
この人生に諦めなどというものがあってはならない筈です。もう駄目だ! そう思うからこそ駄目になるのであって、自ら墓穴に入るような、そんな心のもち方を捨てて、ただ元気に働くべきであります。毎日毎日を努力一つで押し通し、どんな時にも目的に向って進む足を停めてはなりません。前の話の青年も、諦めから一歩抜け出たとき、落葉の下に輝く光明を見出したのであります。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。