第3章 人はなぜ貧乏するか(上)別題、人はどうすれば幸福を摑めるか
5 私の体験から
前々から述べ来ったところを要約すれば、貧乏だとか貧乏でないとか、そんなことに少しもこだわってはならぬということであります。そしてその次ぎの心構えとしては、自分の「天職」とする仕事に驀進するのです。人おのおの神から授かったと云ってもよい天職を有っている以上、自分の境遇はどうあろうと、そんな事など気にしてはならない筈です。
私は以上の言葉を裏書きするために少しばかり体験を話さしてもらいますが、私の家庭をもったのは二十一歳の時でした。その前々年から文芸書の出版をやっていましたが、資本などは少しもない上に、援助者というほどの人もなく、文字どおりの徒手空拳で、今から考えて見れば、まさに貧乏のどん底にいたと云うべきだったでしょう。私たち夫婦が満足に三度の飯を食い、満足に時々の着物を着たことなど三四年はなかったのであります。
併(しか)しその間、貧乏で困ると思ったことは、実際一度もなく、否、貧乏であるとさえ思ったこともありませんでした。ただ仕事の面白さ、仕事の有難さに、何時も元気で働きづめに働いたのであります。
今から当時のことを思いだしても、みな明るい朗かな記憶ばかりで、暗いじめじめした思い出などは、一つもありません。
私はこの時代とそれからも長くつづいた貧乏生活に於ける体験を通して、大阪の米谷氏の創業時代の気持がよく分ります。氏があんなひどい状態にありながら、消防署へパンを提供したのは、貧乏に囚われていなかった何よりの証拠であります。人は貧乏など気にしないで、立派に立って行かれるものであることを、私は、はっきり申上げることが出来るのであります。
この稿更に次篇につづく――
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。