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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)4_02

第4章 人はなぜ貧乏するか(下)

   2 短気は損気

 さて、かの壮年の男、七日の間心を浄めて行きますと、主がるすなのか、いつまでも待たせておきながら何の音沙汰もありません。あまりのことと業を煮やし、ブツブツ言って帰ろうとすると、かの白髯翁現れて、
「汝、短気は損気ということを知らぬか、腹の虫が直ぐ苦情を言い出すような、小さな、けち臭い根性で、人に優る福運が得られると思うか。何よりも根気が第一。更に七日の間心を浄めてから来い」と、また追い出されました。

 どんな人にも、辛抱、堪忍、根気が肝腎であります。商いとは「倦きない」だとも言われますが、単に商いのみならず、あらゆる仕事、皆飽きることなく、一歩一歩の努力を重ねて行かなければなりません。
 ある家の番頭で、極めて実直な男が、主家に長らく勤め、いよいよ独立して商売を初めるとき、主人は膝許に招いて、
「今までよく勤めてくれたが、これから独立して仕事をするとなると、また格別の心がけが要るものである。それで将来、家運を興す法を教えよう。」
と言って、井戸の側(そば)へつれてゆき、
「この釣瓶で、盥(たらい)に水を一杯入れよ。」
と命じました。さてその釣瓶をもって水を汲もうとすると、釣瓶には底がありません。日ごろの主人にも似ず、非常識なことを言わるるものだと恨みましたが、実直な男だけに、主人の命令だからとおもいかえし、何遍も何遍も水を汲みましたが、底なしの釣瓶では水のたまる道理はありません。
 すっかり絶望して、しばらく茫然と立って居りますと、そのぶら下っている釣瓶からポトン、ポトンと雫が井戸の底の水に落ちる音がするのです。
「よし、これだ!」
と気がつき、釣瓶を盥の上で振ってはその雫を溜め溜めするうちに、一昼夜でとうとう盥に一杯となりました。辛抱が第一という主人の情(なさけ)の籠った教訓が腸(はらわた)に浸み込み、涙を以て感謝したといいます。
 米谷氏が、貧乏のどん底から今日あるに至ったのも、夫婦努力の一雫一雫が、遂に盥に一杯となった結果に外なりません。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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