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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)6_01

第6章 世の一切は心の鏡――人を導き人と調和するには

   1 地震を恐れぬ治兵衛

 七八年前の、たしか初秋の頃、鴈治郎が久しぶりで上京し、歌舞伎座に出演することになりました。出しものは『天の網島』河庄の場で、彼は得意の治兵衛に扮したのでした。
 さて、ある日のこと。二番目の幕があいて、鴈治郎の治兵衛が、揚幕から花道へ出ようとする一瞬前、見物はいずれも緊張して固唾をのむ折も折、あの大劇場をグラグラと揺り動かす強震が起りました。
「あッ、地震だ!」と、各階をうずめている見物は、色を失って総立ちになりました。出語りの大夫や三味線弾きも、狼狽して逃げ腰になりましたが、ふとその目に映ったのは、花道に現われた治兵衛の姿です。
 これを見ては、義太夫語りとして逃げだすわけに行かず、無意識に坐ってしまいました。そうなると、傍の三味線弾きも我を忘れて撥(ばち)をとり直し、デンデンと力をこめて弾きはじめたのです。
 三味線の音に、幾千の見物がハッとして我にかえり、花道を見ると、鴈治郎がいつもの治兵衛の悲痛な台詞を言っているではありませんか。さしも混乱した場内はピタリと静まってしまいました。
 鴈治郎は揚幕を出ようとする刹那のことですから、そのまま逃げだしたところで、誰も文句をいう筈はありません。然るにこの七十翁は、どうして平然と花道へでてきたのでしょうか。
 あの時の鴈治郎はもう治兵衛になり切ってしまって、小春に会いたさの一念に身を焦がしていたのです。だから『天の網島』という芝居に地震の場面のない以上、治兵衛になり切った鴈治郎には、地震など考える必要はない筈です。彼の踏んでいる花道があんあに揺れても、少しも心が乱れなかったのは当然でありましょう。
 幾千の見物の目標は、天下の名優鴈治郎一人であり、彼によって自由自在に動かされる心の状態だったのですから、鴈治郎の頭のなかのどこにも地震の恐怖がない以上、見物に恐怖がなくなるのは当然であります。もし鴈治郎に、多少の恐怖でもあったら、見物も同じように恐怖を感じたに相違ありません。現に、他の座は皆ひどく混乱したので、あわてて幕を引いたということでした。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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