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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)6_04

第6章 世の一切は心の鏡――人を導き人と調和するには

   4 心を急回転せよ

 一切の人は、あらゆる場合において人とよく調和して行く道を心得て置かなければならないのであります。
 昔、支那の詩人は、人心の嶮(けわ)しさは、蜀道の嶮(けん)よりも甚だしいと歌いました。互いに欺き、詐(いつわ)りあい、だまし討ち、裏切りは当り前だという、昔も今も変りがないこの世の中に立って、頭を擡(もた)げようとする人は、何よりも先ず、どうすれば周囲と調和し、その人たちと同じ心になれるかということを知らなければなりません。
 それには、世の一切は自分の心の鏡であり、影法師であることを、はっきり意識するのであります。鏡に映った泣き顔も、笑い顔も、皆心の反映にすぎないように、人が自分に対して反感を有ったり、好感をもったりするのは、畢竟、自分の心がその人に映ったのであります。
 これを具体的にいえば、自分がある人に憎しみを有っていると、その人は必ずこちらに憎しみを有ちます。それは、自分の心が反映したからであって、自分の心が変って相手に親しみをもつと、相手の態度は直ぐ変わるのであります。
 明治大正時代の文豪小栗風葉氏が、ある事で訴訟された時、非常に憤慨して先方の弁護士を訪(と)い、烈しい談判をしました。弁護士も負けてはいず、語気荒く盛んに弁ずるのです。それを聞いているうちに、風葉氏は自分の非のあることを悟り、態度をがらりと変えて、
「これは私が悪かった。伺って見て間違っていたことがはっきり分りました。暴言は取消します。」と何のわだかまりもなく陳謝しました。すると、目をむいて風葉氏を睨みつけていた弁護士は、急に笑い顔になり、
「そう分って貰えれば、私はとても愉快です。まあ一杯やりましょう。」
と酒が出て献酬よろしく、大いに意気投合したので、弁護士は風葉氏のためにいろいろ便宜をはかってくれ、訴訟事件は、訳もなく解決してしまいました。
 私は当時その話を聞き、心のかわり方のおもしろさを、しみじみ感じさせられました。これを結果から見れば、風葉氏は相手を自分の思うとおりにした、ある意味でリードしたことになるのですが、しかし、そこまでになるには、日本海の海戦ではないが、百八十度の急回転をやった為めであります。
 だから、この世に立って行こうとするには、常に自分を反省して、その周囲と調和して行くことを心掛けなければなりません。
 まずその第一歩として、自分をひどく嫌っている人があったら、それは畢竟、自分がその人を嫌っている心の鏡であることを悟り、その人を好きになるのです。誰でもよくよく見ると必ず良いところが発見されます。そこを摑んで、今まで嫌いぬいていたとは反対に、好きになって御覧なさい。その人は手の裏かえず如く、こちらに対して交換を有つように変ってしまいます。
 私たちの身辺には、絶えず何かしら面倒な、心配になるような事件が起って来ます。そういう時は、深く自分の心を掘り下げて見なければなりません。自分の心持ちに間違ったところはないか、自分のやり方にいけない点はないか。それをよくよく反省して、間違ったところがあれば急角度の回転をして、思い切りよく改めるのであります。改めたことから相手の気持ちが変って、すらすらと事件の解決してしまうことは、風葉氏の話で証明されて居ります。
 目上の人は、自分の都合からのみ目下をリードする心になってはならないように、一般の人が他(ひと)を牽(ひ)きつける道は、決して自分の「我」を立てず、いつ、いかなる時も自分を反省して見ることであります。
 それだのに、自分のことは一切棚にあげて、人を恨んだり、人に不平を起したり、人につらく当ったりして、次第に世の中を狭めて行くなどは、何という愚かしいことでありましょう。そんな人は、先ず棚に上げた「自分」をとりおろして、委細にしらべることです。決して他を見ないで、ただ自分を反省する――、そこから境遇をぐんぐん好転する道が開けて行くのであります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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