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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)8_02

第8章 平生の用意と緊張

   2 菊五郎の舞台装置

 六代目菊五郎が先年、弟子の鯉三郎を連れて猟に行った帰り途に、ある街道筋で、古風な田舎料理屋の前にさしかかりました。すると俄かに足を留めてじいっと瞶(みつ)めたまま動こうとしません。
 菊五郎は市中を自動車で走っているときも、時々車をとめて中から瞬きもせずに何かを見ていることがありますが、それは舞台の上の参考になるものを見つけて、頭のノートに書きとめて置くのであります。いつも伴をして、そうしたことを見馴れている鯉三郎は、また例のことだなと、黙って師匠の横に立っていますと、かれこれ十分もすぎてから、菊五郎はやっと緊張から放たれたものように莞爾(にっこり)して、
「おい、行こう。」と、とても機嫌よく歩きだしました。
 それから二年ほど後に、長谷川伸氏の『一本刀土俵入』が菊五郎一座によって上演され、非常に評判になりましたが、初日に、「我孫子宿の場」の料理屋の装置を見た鯉三郎は、おもわず「アッ、あれだ」と声にだして感嘆しました。それは、曾て猟の帰りに街道筋で見た、あの家をモデルにしたものでありました。
 舞台装置家が、序幕にだす料理屋をどんな風につくろうと頭を捻っていますと、菊五郎は極めて無造作に、かくかくの恰好、かくかくの構えにするがよいと、その頭のノートをくりひろげて目に見えるように説明しました。装置家は感心して、その通りに作ったのですが、いかにも田舎の曖昧料理屋にふさわしく、非常に舞台効果を収めたのであります。
 菊五郎は言うまでもなく現代独歩の名優。絶倫の技芸を以て人気第一と云われて居ります。この人にして尚おこの用意、この緊張があるのかと思うと、何人も嘆称せずにはいられますまい。
 いかにすぐれた天稟に恵まれていても、それを生かすものは緊張と努力に外ならないことの、これは有り難い実物教育であります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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