第9章 己れを誇り飾る心
1 神風号と荒鷲隊の勇士
昨年の五月、朝日新聞の「神風号」が、欧亜をつなぐ南方コースの大飛行に、日本が始めて世界に誇る記録を作って帰った時、盛んな歓迎の会に臨んだその若い二人の鳥人は、少しもえらそうな顔をせず、挨拶なども至極謙遜なものでした。更に同新聞社の人に聞いて見ますと、出発前と全然おなじ態度で、相変らずの真面目な二人であると言うのです。私は、これには深く感心してしまいました。
少年にして高科に上(のぼ)るは不孝也と、昔からよく言われておりますが、何が危険といって、年若くして大名(たいめい)を博するくらいの危険はありますまい。それは、己れを誇る心が躓かせるのであります。そのよい例に、大正の中頃、一巻の小説を以て天下を沸き立たせたS―という青年文士がありました。その時わずかに二十一歳、雨とそそぐ称讃の声にすっかり有頂天になって、傍若無人の振舞いが多く、とうとう全新聞に叩きのめされて狂死しました。癲狂院に送られたときは二十六歳で、「神風号」の鳥人の一人と同年なのも、S―を知ること深い私には、感慨無量だったのであります。
今事変にあたり、最も華々しい手柄を立てて、全国民の重い信頼を受けているものは、海陸の荒鷲隊であります。それが殆んど若い人たちばかりなのに、巧に誇ろうとする態度など微塵もないと言って、会った人たちは口を極めて讃嘆して居ります。海軍省軍事普及部の梅崎中佐は某空軍基地をたずねた時の感想の中に、
「これから爆撃に行こうという人たちは全く沈着そのもので、至って物静かであるし、大手柄を立てて帰って来ても、当りまえのことを当りまえにやったというだけで、少しも華やかな状景などは見られなかった。」
と言われていますが、これなればこそ、死生の巷に出入して、あわてず騒がず、悠々として大功を立てたのであろうと、私は昨年夏の「神風号」の感激を更に五倍し十倍したのであります。少しの事でも自慢せずに居れない自己吹聴屋は、顧みて恥ずるところがなければなりません。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。