第9章 己れを誇り飾る心
5 ある会社の重役との問答
曾てある温泉で旧友と落ちあい、その連(つれ)の、大きな会社の重役である人と三人、晩餐を共にした時、友人と重役との間に、こんな問答が交わされました。
「いつかお願いして、君の会社の厄介になっているT君は、もうだいぶになるが、課長あたりへ引き上げて貰えないかな。」
「あれは頭もいいし、手腕もあるが、ただ一つ欠点は自慢屋でね。同僚や部下に威張るため、人気はどうもよくないよ。」
「ホオ、それは初耳だ。」
「例えば、自分の目下の者に、君のやり方は丸でなっていないと、ひどくやッつけて、俺ならこうすると自慢の講釈を長々しくやるのだ。すると目下の連中は、僕たちの何倍という月給をとっているんだから、ちっとくらい出来るのは当り前だなんて、陰口を叩く始末でね。」
「それは困るな。」
「その上、社外の人とよく飲むので、安心して抜擢されないのだよ。」
「どうして社外の人と飲むのがいけないんだね。」
「自慢屋というやつは、飲むと一層自慢がひどくなるものだよ。会社でかくかくの事件の時、僕はこういう処置をとったとか、こうして巧くやったとか、いい気持ちになって、べらべら手柄話をやるので、会社の内情が外に洩れてしまうからね。」
「T君はそんな自慢屋なのかね。君は又それがよく分るんだな。」
「私は俱楽部で碁など打ってヒマそうにしているが、社員のことは隅から隅まで、小使の嚊(かか)アの買い食いの癖までちゃんと知りぬいているよ。T君の行状記などは何でもないことさ。」
「重役だけは、そんなに自慢してもいいのかね。」
「ヤア、一本やられた、ハッハッハッ。」
と、三人声をそろえて大笑いになりました。
しかし、これは笑ってばかりいられないことであります。頭もあり手腕もありながら、自慢のために進路を塞がれるなどは、あまりに馬鹿馬鹿しいことですが、こおれに類する話は定めて世間に多いだろうと思います。
わが荒鷲隊の勇士たちが、全日本の感謝に値する偉功を樹てながら、当り前のことを当り前にやっただけだという顔をしていることを思ったら、尋常一様の事を、誇り、飾り吹聴したがる人は、慚死しなければなりますまい。結局は、「人を相手にせず、天を相手にせよ。」でありますが、私は更にその意味から、
「人を相手にせず、仕事を相手にせよ。」
という言葉を座右の銘にしてもらいたいと思うのであります。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。