第10章 嫌いな仕事が好きになる
1 裁縫ぎらいの娘さん
このほど私の知人の奥さんが見えられて、娘がもうそろそろ嫁に行く年頃なのに、裁縫が嫌いで、どうしてもやる気になりませんから、一度話をしていただきたいという頼みでありました。
ではお会いしましょうと引受けると、間もなくその娘さんが来られました。やっと二十(はたち)ぐらいで、派手な顔立のなかに少しとげとげしい感じのする人でした。
「あなたは裁縫が嫌いだそうですね。」
と言いますと、
「嫌いじゃないんですけど、何しろ肩が凝りますので。」
と、少し苦笑しながら答えるのでした。
「厭や厭やなさるから肩が凝るのですよ。好きになって御覧なさい、肩など凝るものではありません。肩が凝ると言って按摩をとる人がありますが、叩けば叩くほど却ってひどく凝るものです。そんなことをするより素直で朗かな心になれば、体がすうと楽になりますよ。」
「でも、厭なものが好きになれましょうか。よく虫が好かないと言いますが、性にあわないものは仕方ないと思いますわ。」
娘さん、なかなか突込んできます。
「それは食わず嫌いですよ。やって見れば面白くなるのに、やらないで厭がるのは間違いですね。裁縫は婦人として好きとか嫌いとか言っていられるものじゃありませんから、思いきっておやりになることです。」
「私も一寸やっては見ましたが、どうしても好きになれませんので……」
「それはいけません。少しばかりやって見て、出来ないから駄目だと決めるのは、我がままというものです。御参考に私の体験をお話しましょう……
私は郷里で高等小学校を出ると、師範学校へ入ることになりましたが、入学試験のなかで最もやかましいのは数学だと聞き、これは到底駄目だ、断念するより外ないと悲観してしまいました。私は数学が大嫌いで、お話にならないほど出来なかったからであります。
しかし、家庭の事情は中学校に入ることを許しませんので、県の費用でやってもらえる師範学校以外に、学問の途(みち)はありません。これは嫌いだなどと言っていられる場合でない。腹をきめて数学を勉強しようと思いかえして、昔の田舎のことですから、『算術五百題』といった問題集を一冊やっとのことで手に入れ、それを頼りに独学したのであります。
はじめのうちは、どうしても出来ないので、失望のあまり、その本を壁に抛(な)げつけたこともありましたが、気を短くしてはいけないと自分で自分に言い聞かせて、またコツコツやっているうちに、一題二題と答が合うようになりました。糸口が開けだすと、始めて面白味を感じて来ます。
そうならばもう占めたもので、それからは順風に帆をあげるような調子で、自分ながら驚くほどの進み方でした。『五百題」全部が完全にできあがったときは、世の中に数学ほど面白いものはないとさえおもい、夜が明けたような心地がしました。
これは、私が十五歳から十六歳にかけての体験でありますが、それを通して私の摑んだものは、
世の中に厭やなものはない、ただ味わないだけだ。
世の中に出来ないものはない、ただやらないだけだ。
という二つであります。世間へ出てから、ずいぶん嫌いなものに出逢いましたが、いつも、この体験をおもい出し、自分を鞭うって来たのであります。
そういう私ですから、食わず嫌いはいけないと、しんから云えるのです。あなたも直きにお嫁に行かれるでしょうが、家庭をおもちになる以上、厭でも応でも裁縫の心得がなければなりません。女学校時代からずうっと裁縫は嫌いだと言って通した人が、お嫁に行ってからひどく困ったという話をよく聞かされます。女中が一寸したものを縫って、奥さんここはどうしたらいいでしょうかと尋ねられても、返事ができないで赤面したというような話も少くありますまい。
現にこの間の新聞に、夫から裁縫のできないのは妻の資格がないと叱られ、毒を飲んで死んだという婦人のことが出ていました。これは極端な例ですが、裁縫が嫌いだと言って澄していられないことは、お分りになられたでしょう。では早速おやりになるんですね。」
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。