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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)10_04

第10章 嫌いな仕事が好きになる

   4 仕事を好きになれ

 就職期になると、学校を出た若い人たちは、会社や商店や官庁などへ、それぞれ入って行くのですが、さて与えられた仕事を見ると、学校で詰め込んだ理論などとは凡そ縁の遠い、平俗きわまるものなのにがっかりしたと、よく聞かされます。
 これなどは心得違いの甚しいもので、そういう平俗だとおもわれる仕事が、その会社なり商店なりの根や幹を培(やしな)ってゆく大事な養分になるのであります。そう思ってどんな仕事でも好きにならなければなりません。学校で勝手な熱をあげていたときと違い、実社会に出ると、骨の折れること、面倒なこと、さまざまでしょうが、それを厭がるような人は、前途に見込みはないのであります。厭な仕事ならば、まず勇敢に飛び込むことです。そしてその仕事に没頭しているうちに、仕事そのものが不思議な味(あじわ)いを生みだして、仕事がおもしろくて堪らないようにしてくれます。誰かが身を立て家を興すには、女房を好きになるのが第一といいましたが、同様に大事なのは自分の仕事が好きで堪らなくなることです。
 百貨店(デパート)の創始者であるジョン・ワナメーカーは、
「最後の勝利はその職業を心から好むものの手に握られる。」
と云いましたが、遠いこの米国の実業家の言葉を借りるまでもなく、皆さんの入って居られる会社や商店の社長さんの経歴をしらべて御覧なさい。サラリイマン時代に、殆んど例外なく、仕事に夢中だった人に相違ありません。
 一時、関西財界の大御所とまで謳われた岩下清周氏は、三井物産の平社員時代、必ず他の人より一時間も一時間半も早く出社して仕事にかかる準備をしていましたが、それを認めた重役の益田孝氏から、これはただの青年ではない、将来きっと物になる――と折紙をつけられ、出世の糸口がひらけたのであります。
 又、最近二千万円に増資した日本特殊鋼管会社の中島専務は、泰東同文局という支那向きの輸出業専門の会社の一サラリイマンだった頃、毎日、夜の八九時までも唯だ一人居残って仕事の整理に没頭したばかりでなく、発送部の人たちは退出時間が来ると、荷づくりのできた荷物をそのまま打棄(うっちゃ)って行ってしまうので、氏は帰りにそれを担いで運送店まで持って行くの例としたそうであります。一時も早く先方の手に渡らせたいばかりに、頼まれもせぬ仕事に骨を折ったのでした。
 これ等の人たちは、上役に認めてもらうというようなさもしい考えから、そうしたのではなく、その職に忠実なあまり仕事が好きになって、そうせずにいられなかったのであります。が、いくら認めてもらうという考えがなくとも、上役は認めずにいません。もし上役が認めなければ神は必ず認めます。中島氏が最近、砂鉄製錬という国策上極めて重要な仕事をする大会社の事実上の独裁者となった、その輝かしい成功は、決して偶然でないことが分るのであります。
 若い人たちは、深くここに鑑みて、何よりも仕事の好きな人、その仕事をさせてくれる会社なり商店なりを心から愛して、魂をうち込める人にならなければなりません。やっと職業を得たばかりで、好きとか嫌いとかわがままを言うのは、実に勿体ない話で、心得違いの甚だしいことであります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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