第11章 癇癪の虫を封じる
3 婦人の癇癪
婦人にあっては泣くのが、一種の癇癪であります。婦人は物事が思うようにならないからと言って、男のように乱暴なまねをして、派手に感情を破裂させるわけに行きません。そこで女の武器であるところの涙をこぼします。口惜しいといっては泣き、情ないといっては泣く。その泣く様は、雨に悩む海棠(かいどう)のようだなどと風情ありげに言われていますが、実は癇癪の一種に外ならないのであります。なぜかと云うに、怒るのも泣くのも共に、思うようにならないところから出る「不足心」だからであります。
この悲哀の情が起りますと、唾液や、胃液や、腸液や、汗、尿など、すべての分泌が減少し、烈しくなれば、涙が殆ど出ないくらいになってしまいます。よく、
「泣くにも最早涙がない。」
「涙腺が涸れてしまった。」
などと言いますが、それは決して誇張した形容ではありません。ある美容師は、
「どんなに化粧の秘術をつくしても、心に悲しみを有っている婦人の皮膚をきれいにすることは出来ない。」
と言いましたが、まさにその通りでありましょう。どんな麗人でも、癇癪を起して直ぐ柳眉を逆立てたり、ヒステリーで不平ばかり列(なら)べたりしては、折角の美貌も台なしになってしまいます。波も風も立たない平和なこころであって、その美は一層輝くし、又、醜くても人を牽きつける和かさが湧いてくるのであります。東京市中で婦人の使う化粧品代は一ヶ年約三千四百五十万円だと聞きました。この数字は婦人がきれいになろうとする、恐ろしいまでの欲求を語っていますが、しかし美容の根本となるものは、心の平和であることを知らなければなりません。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。