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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)13_03

第13章 今日の事は今日為せよ

   3 大晦日の晩の加増

 井伊直孝は、大阪[ママ]の役に勇名を轟かした猛将で、家康の信任最も厚く、江州彦根三十万石の藩主に封ぜられた人であります。ある年の大晦日、夜も晩(おそ)くなってから、直孝は突然家老の一人を召して、
「家中の某というものは見どころがあるから、只今三百石の加増を申しつける。その方よきに取計ってくれ。」
という藪から棒の命令に家老は驚いて、
「今宵御加増となりましては、只一夜の事にて一年分の碌を遣わすことに相成ります。お言葉を返して恐れ入りますが、春に遊ばされては如何(いかが)で御座いましょうか。」
と申しあげますと、
「いや、左様でもあろうが、加増と決った上は一日一夜はおろか、寸刻猶予もできぬのだ。」
と言ってから、更に詳しい事情を語り聞かせました。
「実は、先年余の馬の口取りをしていた者は、まことに律儀で末の見込みもあるから、侍に取り立ててやろうとおもっていたところ、大阪出陣のみぎり、ふとしたことから、他家の若者と口論し、刃傷沙汰に及んだ。先きは士分なので謹慎で事済みになったが、こちらは小者(こもの)だというので、打首を申しつけなければならなかった。もし一日早く侍に取りたてて置いたら、可惜(あたら)若者をむざむざ殺すことはなかったろうと、余は唇を噛んで後悔し、やろうと思いながらそのまま打捨てて置いた因循さを自分で鞭打って責めたのだ。
 それからは何事によらず、これは善い事だと思いついたら、直ぐに実行することに決めて今日に及んでいる。大晦日の加増というのもそれがためで、余はどうしても明日まで待てないのだ。」
 これを聞いた家老は、何という情(なさけ)ぶかいことだろうと、ただ感激の涙に咽(むせ)ぶのみでありました。が、それと共に、善事を行うには寸刻の躊躇も許さないという直孝の逞しい実行力を、私たちは取って処世上の鑑としなければなりません。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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