第15章 上下(しょうか)、己れを捧げて働く
2 一切が自分の仕事だ
元来人は、何かの機会に大きな刺戟に逢わぬ限り、「物を出し惜む」という悪い癖が除かれないのであります。金を出し惜むことは勿論ですが、労力を出し惜むことも人間通有の病であり、それによって自ら害い、損じ、失うことが実に多いのであります。私達は、働くことの歓びを深く感じ、自己を捧げて力のありたけを出さねばなりませんが、共同の仕事に携わっている人たちに言いたいことは、「ただ働け!」ではなく、
「力を出しあって、助け合え!」であります。一人が全力を出すのではなくみなが出しあって皆のために働き合うのであります。
これを実行するには、社長、店主、又は何々長という立場の人が衆に先んじて、同心協力の実を示さなければなりません。福富氏はまさにその人でありました。自分の一身を駅全体に捧げる覚悟で、すべての仕事を駅員と共にやったのであります。一人で重い物を持ち扱っていると、走って行って手を貸してやる。車を二人で運んで行くのを見ると、飛びついてどんどん押してやる。こんな調子ですから、私の見た子供を抱きおろす親切と敏捷さなどは、当り前なことだったでしょう。
駅長のこの己れを捧げきった態度は、駅全体の係員の行動に大きな変化を及ぼさずにいませんでした。それまで二人でやっていた仕事は、三人或は四人で手早く片づけられ、五人でやった仕事は、七人もしくは八人で気持ちよく運ばれるという風になって行って、駅内で誰一人力を出し惜しむものなく、而も各員が、人の仕事を手伝っても、「尽くしてやった」とか、「助けてやった」とか、そんな水くさい、他人行儀な考えは微塵もなく、皆が自分自分の仕事として、朗かにやってのけるのであります。これでは、さしも難物のハンプも、全然事故が出なくなったというに不思議はありますまい。
当時の鉄道界の人たちは、「あの事故が除(と)れたとすれば、それは奇蹟だ」と言ったそうですが、人間の心のつかい方、力の込め方一つで、どんな事でも実現のできることが、証拠立てられたのであります。
駅員の仕事をする時は、駅員になりきり、工夫の仕事をする時は、工夫になりきったところに、この駅長の自己を空しくして、自己を捧げた尊さがあります。畢竟するに、統率者一人のまことによって、全部がまことになったのであることを知らなければなりません。
私の社なども、仕事の割に社員の数が少ないのですが、それで仕事がいつも支障なく運転されて行くのは、やはり社員同志[ママ]が互に助けあう結果であることだと思って、感謝して居ります。編輯の人でも手が空いて居れば、事務の方を手伝うし、事務の人でも編輯の仕事で飛び回ることが少くなく、大きな発送などの時は、社員総出でやるといった風であります。
私も社長室で、皮張りの大きな安楽椅子にふかぶかと腰でもおろして、煙草をくゆらしながら、窓外の風景を眺めるといった吞気な真似などしたことはなく、編輯、校正、広告、事務、何でも御座れと一日じゅう手をあかすことなく働いて居ります。
ただこの話を聞いて、駅長が駅員の仕事をしたり、社長が社員の仕事までするのは、過ぎたるは及ばざるが如しで、却ってよくない結果を招きはせぬかと云う疑いをもつ人があったら、それは全く杞憂にすぎないことを一言して置きます。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。