第16章 与えられた処を喜ぶ
2 処に応じて気持をかえる
医学の方では、偏食のためビタミンBの欠乏が脚気の原因だというのであります。ではなぜ、人は偏食するのでしょう? これが根本の問題になりますが、兎に角、一切のものを受け入れることの出来ない頑な心、即ち「我」のつよい人は、食べ物の好き嫌いがつよくて偏食となり、与えられた処や仕事などすべてに好き嫌いの心が働くのであります。
が、どんなに嫌っても、嫌われた対手(あいて)は平気で済ましています。蒟蒻ぎらいの人が厭だ厭だと騒いでも、蒟蒻はこの世の中にちゃんと存在しているように、東京を厭がり南洋を嫌いぬいたところで、その東京や南洋は消えて無くなりはしないのですから、結局自分の方ですごすご退却する外はなく、折角の目的も抱負も無駄になってしまうばかりです。
ではどうすればよいかというに、その物に応じてその処に応じて気持ちをかえる――南へ行ったら南のように、北へ行ったら北らしく、すぐ気持ちをかえてそれに適応する心の自由さ、素直さ、朗かさが欲しいのであります。
山の中にいた人が海辺へ移って来て、どうも山の中のような暮らし方ができないといって不平をおこしたら、いい笑い草にされましょう。だから東京に来たら東京に、南洋に行ったら南洋に、或は甲から乙の転任地に、嫁に行く人は新しい家庭に、その他どこでも与えられた処にすっぽり適(はま)り込んで、それを喜ぶ気持ちにならなければなりません。
私は南洋から帰って来た青年に以上のような話をした後で更に言いました――南洋に行った以上、日本にいて誰にもできる平凡なことをしているよりも、遠いこの地に来て、海国日本が南進への御用をさしてもらうことは男子の本懐である。喜んで大いに働こう――と不平不満の心を万里の長風に吹っ飛ばせば、脚気も一緒に飛ばされてしまって、必ず健康を取り戻すことができると、言葉をつくして激励したところ、その青年は奮起して再び南洋に赴いたのであります。
半歳ぶりで手紙が来ましたが、それには、――朗かに、喜んで働いていますが、いよいよ健康で、前途にはっきりした希望を持てるようになり、地獄の猛火と思われた此(この)地の熱風も、今は極楽の清涼の風と変りました。知人の脚気にかかっているものや、意気銷沈している連中に、お説の受売りと共に私自身の体験を話すと、みな生れかわったように元気を取り戻し、緊張して働きだします。本当に有難いことだと思います――と書いてありました。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。