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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)17_01

第17章 職業に信念を持て

   1 角力とりと追剥

 一人の角力とりが、夜、山の中を歩いて居りました。峠へさしかかると、物すごい男があらわれて、
「ヤイ待て、」と大きな声でどなるのです。驚いて「何だ。」というと、
「今時分、山の中で人に待てと言ったら追剝に決まっているじゃねえか。さア金を出せ、ナニ金は無いと、無ければ着てるものを皆よこすんだ。」
と、いきなり抜身(ぬきみ)をつきつけました。
 角力とりは度肝を抜かれて、ガタガタ慄(ふる)えだし、追剝のなすがままに着物を一枚脱ぎ二枚脱ぎして、褌(ふんどし)一つの素裸になってしまいました。
 素裸になった途端、
「そうだ、俺は角力とりだ。」
と気がつくと、はじめて勇気が体じゅうに湧いて来ました。
「ヨイショウ!」と四股を踏み、「サア来いッ。」と、太い拳を二つ、グッと前へ突きだすと、追剝は青くなって慄えあがり、着物をおッぽりだしたまま一目散に逃げてゆきました。

 この角力とりは、自分の職業に対する何の信念もなく、単に「めしを食う道具」くらいにしか考えていなかったのでしょう。だから山のなかを歩いていた時は、全く自分の職業を忘れて、気も力も抜けていましたから、追剝の一喝に縮みあがったのですが、裸にされてやっと自分をとり戻し、信念をとり戻すことができたのであります。
 自分の職業に対する信念を失っては、人間は、もうおしまいだと言わなければなりません。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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