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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)17_02

第17章 職業に信念を持て

   2 本当の修養は働きの中から

 その家の職業は、多く親から子へと伝えるのですが、中には実業家の子息が学者になったり、学者の子息が軍人になったりするのも珍しくありません。が、それは気紛れからではなく、よく調べて見ますと、その人の祖父や祖々父かが、そういう方面に趣味があったり、母方の実家にそういった傾向の人があったり、何処からか糸を引いていて、そうなるべき因縁が結ばれているところを、更に先輩の鼓吹、時代の感化など様々のものが肥料となって、芽をふきださせるのであります。
 だから職業は、多くの場合、天から定められたものであって、天は必要な時に、人に必要な仕事をさせるのだといってよいのであります。天職なる言葉はそういうところから出たとすれば、世にこれほどの大事なものはありますまい。
 然らば、全力を挙げて従事し得る職業を有っていることは、大いなる歓びでなければなりません。職業によってこそ、人格が磨かれ、本当の修養ができるのであります。
 寺院や教会や、又は何々修養団というものに行かなければ修養ができないと思うのは、大きな間違いであります。働くことをしない人が、壇上から人間の踏むべきみちを説いた所が、それは、弾丸(たま)をこめていない空砲のようなもので、単なる音にすぎません。活世間に処する活修養は、本当の働きの中にのみあります。人格を磨きあげ、充実した生活をなすには、まず職業に固い信念を持つことであります。
 然るに、自分の職業に対して信念の欠けていること、彼(か)の追剝に出会った角力とりのような人が、どんなに多いことでしょう。それらの人たちは、信念がないために、職業に対して歓びを有つことなく、常に不平や愚痴をならべて居ります。
 例えば、商売人、官吏、医師、政治家、文学者、その他さまざまの仕事に従事している人に向って、あなたのお子さんを何になさりたいのですかと聞くと、大抵の人、まず十中の六七までは、
「何でも子供の好きなものをやらせますが、私のこの仕事ばかりはさせたくありません。世間にはいくらも好い職業がありますのに、こんな骨ばかり折れて収入の少い仕事を選んだ私は、全く貧乏籤をひいたのです。」
などと泣言をいいますが、自分の発奮努力の足りないことを棚にあげて、職業そのものが悪いときめられては、職業も泣きたくなることでしょう。何よりもそんなことでは、第一、本当の人間になれる筈はありません。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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