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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)18_01

第18章 噓から出た誠の話(親孝行の真似)

   1 わが国民道徳の根源

 呉淞(ウースン)の敵前上陸の際、ひとりの海軍水兵は、敵弾にあたって仆れるとき、「天皇陛下万歳」を高く叫び、さらに数秒の間をおいて、かすかに唇をふるわせると、
「お母(っか)さん。」
と言って、目を瞑ったという話を聞きました。
 陛下と母親――併せて口にするなどは、憚り多いことでしょうが、激戦の真ッ最中、今を限りの命というときです。咎めだてなどせずに、人の子の至情に泣いてやるべきだと思います。
 これが西洋の兵隊だと、死際に母を呼ぶというようなことはなく、呼ぶなら妻か恋人の名でありましょう。日本人と西洋人の違いは、そういうところに判然(はっきり)と現われています。
 西洋では夫婦が家庭の中心で、親子の間は互に権利を主張しあう有様です。たとえば、息子が嫁を貰って独立してから親の家に居ると間代を払わせられるし、親が息子の家に居るとやはり間代を払わなければならないのです。そういう思想が日本に入って来てから、これいかぶれた人たちは、日本固有の家族制度――国家を一大家族とまで見る国民道徳の根源――を時代おくれの厄介物だとなし、孝行などというと、ひどい旧弊扱いするので、心ある人の眉を顰めさしたことも随分長い間ですが、今事変以来、国民道徳作興の叫びにつれ、日本固有の家族制度を根ぶかく張って行こうと言う声が高まって来ました。
 これは真(まこと)に喜ぶべきことであります。私は、次に孝道について少しばかりお話しして見たいと思います。

「孝は人の心を至純至真、殆ど聖者の域に達せしめるもの」であると、中江藤樹先生は言われましたが、真(しん)に人倫の大本(たいほん)、孝子が誠をつくして親に事(つか)えた話ぐらい人の心を浄化するものはありません。
 そういう美談は昔から数限りなく伝えられていますが、私は現代に例を求めて、まず、今の寺内北支総指揮官の厳父、故寺内元帥を挙げます。元帥の孝行ぶりは、見るものをして粛然、襟を正さしめたと云われる程で、自宅でも官邸ででも、朝晩、老父母のいる郷里(山口)に向って遥拝すること、一日も欠かさず、陸軍大臣時代、東京の邸に両親を迎えた折などは、孝養至れり尽せりで、どんなに疲れた時でも、両親が床に入らないうちは決して寝なかったと云うことでした。
 元帥は金平糖のように尖角(かど)が多く、ずいぶん反対党の攻撃を受けた人ですが、この孝行ぶりを聞くと、正直で純情な人柄が偲ばれ、これなら、上から深い信頼を受け、下からも心服されて、あれだけの地位にのぼったことが当然だという気がします。
 政界、実業界、学界、さまざまの方面で、知名の士の間に、孝行美談はいくらでも聞くことができます。米内海相の至孝ぶりや、永井逓相、児玉前拓相の母堂に対する至純の情(こころ)などもよく雑誌に出て、読者にふかい感銘を与えたようでした。
 昔から忠臣は孝子の門より出ずと言いますが、更に、成功者は親孝行ものから出ると言っても過言ではないでしょう。
 ある会社で就職希望者について人物の銓衡(せんこう)をするとき、その人の孝か不孝かをしらべ、相当の教育を受けた若い人が、親を大事にするというなら、まずまず及第点をつけるのだそうであります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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