第19章 子供の生活を理解せよ
1 子供も樹木と同じこと
外套の襟を立てて、大人が寒そうに歩いている木枯の中を、子供たちは手袋もはめずに凧を揚げたり、鬼ごっこをしたり、日の暮れるのも忘れて跳ねまわっております。
「子供は風の子」といいますが、彼等は風がどんなに冷たかろうが、寒かろうが、自由にとび回ることに大きな喜びを感じ、そうせずには居られないままに動いているのであります。
こういう生々(せいせい)溌剌たる境地におかれてこそ、子供は若竹のように、スクスクと伸びてゆくのですが、その子供の世界を踏み荒らして、芽を摘み枝を矯めようとする者は誰でしょうか、多くの場合、それは親であります。
こんな寒空に外に出てはいけないとか、ひどく着物を汚したとか、遊んでばかりいては碌なものになれないとか、さまざまの愚痴や小言をならべたてて、子供の生活に干渉するのですが、そんなことをして一体何の役に立つのでしょうか。
私の書斎の窓の前に銀杏の小樹があります。四年前に、実を植えたものですが、元気に伸びてもう三尺ばかりになり、秋には可愛らしい黄葉のながめを見せてくれます。こうなる迄に私はどんな世話をしたかというに、ただ採光と通風の上に邪魔のないようにし、虫を捕ったり水をかけたりする位いのもので、それ以上どうにも世話のしようがなかったのであります。なぜかというに、樹木は「大自然」(或は神)の力によって生れ、その力によって大きく育って行くからであります。
この点で、子供も、樹木と同じであります。
親は子を産むと云っても、男か女か、又どんな顔立やら性質やら何一つ分らないし、既に生れて来てからでも、自分の子だというのに、歯一本、毛一本、自由に生えさせることもできません。親はかくまでに無力であっても、子供はぐんぐん大きく育ってゆく様を見るとき、「大自然」の偉力の前に襟を正さずにいられないのであります。
では、親は子供についてどんな役目があるかというに、私が銀杏の小樹に対したように子供の世界を見戍(みまも)ってやるのです。それは「大自然」の力が何の遮るものなく子供の上に齎されるようにして、明るく正しく快活で、而も従順であるべき子供の本性(ほんせい)をどこまでも発揮してやることに外ありません。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。