第20章 国家と運命を共にする
2 ある小学校での話
国家は今まさに、日本の興隆、東亜の平和という偉大なものを産み出そうとして、烈しい陣痛に悩んでいます。我等個々人は、この悩みを喜んで受け入れ、それぞれに分ち担うことが、当然のつとめであります。
どんな場合でも、不平不満の思いなく、喜んで一切を受け入れる――この心構えについて、幾たびかお話して来ましたが、非常時局に際しては、喜んで国家と運命を共にするという心境でなければなりません。
昨年の事変予算は、二十五億、本年は軍事費だけで実に四十五億に上るそうですが、国民はその全部を負担しなければなりません。毎朝、魚屋が盤台を担いで回り、豆腐屋が喇叭を吹いて歩く、ああいう働きの中から生みだされた金が、軒の雫のあつまって大河となるように、国家空前の予算を支障なく消化することになるのであります。
だから、その仕事はどんなに小さくても、我れこそ戦時の日本を背負(しょ)って立つのだという自覚がなければなりません。この自覚が全国民に行きわたり、協同一致、皆が心を一つにして各々の仕事に魂を打ち込むとき、そのまことの総和は、戦場の兵士と相(あい)応じて、天地神明を動かすことにもなりましょう。
明治の末頃、三重県で模範小学校として聞えていた某校にあった話であります。天長節の祝日に、校長は教育勅語を捧読したあと、全生徒に向って、
「克く忠に、という勅語のお言葉の意味を知っているものは手を挙げなさい。」
と申しました。全生徒残らず手を挙げた中から、五年の優等生某を指名してその意味を言うように命じますと、その生徒は立ち上り、
「克く忠とは、昼は学校へ来て勉強し、夜は草鞋をつくることであります。」
と申しました。国家の干城(かんじょう)となって、大君(おおきみ)に命を捧げることのみを「忠」と覚えている生徒たちは、どっと一度に笑いだしました。
すると、祝典に参列のために来ていた郡長は演壇に立って、
「昼は学校で勉強し、夜は草鞋をつくる。こうして自分の持っている全部の力を尽くすこと以外に、小学生としての忠はありよう筈がない――とかく教育が単なる知識の詰め込みになりがちなのに、かく実生活的に精神教育のできているのは有り難いことである。」と言葉つよく称揚されました。
去る第七十二議会閉会の日、近衛首相は全国民に対する告諭を発せられましたが、その中に見逃してはならぬ一節がありました。それは、
「尽忠報国の精神を振起して、之を日常の業務生活の間に具現せしむるにあり。」
というのですが、日常おのおの職業や生活の間に忠義をつくして国へのまことを現わせよとは、いみじくも言われたものであって、昼は学校に、夜は草鞋をつくる、その精神を発揮せよというのであります。
「尽忠」とか「報国」とかいうと、自分たちの手の届かぬ上の方にある、何か特別のもののように思っていたのが、何ぞはからん、今こうして働いている仕事の中にあるのだと知ったとき、勇気がおのずと湧いて来て、懸命の努力をせずにいられなくなりましょう。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。