天佑ヲ保全シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国皇帝ハ忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ清国ニ対シテ戦ヲ宣ス 朕カ百僚有司ハ宜ク朕カ意ヲ体シ陸上ニ海面ニ清国ニ対シテ交戦ノ事ニ従ヒ以テ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ 苟モ国際法ニ戻ラサル限リ各々権能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽スニ於テ必ス遺漏ナカラムコトヲ期セヨ
惟フニ朕カ即位以来茲ニ二十有余年文明ノ化ヲ平和ノ治ニ求メ事ヲ外国ニ構フルノ極メテ不可ナルヲ信シ有司ヲシテ常ニ友邦ノ誼ヲ篤クスルニ努力セシメ幸ニ列国ノ交際ハ年ヲ逐フテ親密ヲ加フ 何ソ料ラム清国ノ朝鮮事件ニ於ケル我ニ対シテ著著鄰交ニ戻リ信義ヲ失スルノ挙ニ出テムトハ
朝鮮ハ帝国カ其ノ始ニ啓誘シテ列国ノ伍伴ニ就カシメタル独立ノ一国タリ 而シテ清国ハ毎ニ自ラ朝鮮ヲ以テ属邦ト称シ陰ニ陽ニ其ノ内政ニ干渉シ其ノ内乱アルニ於テ口ヲ属邦ノ拯難ニ籍キ兵ヲ朝鮮ニ出シタリ
朕ハ明治十五年ノ条約ニ依リ兵ヲ出シテ変ニ備ヘシメ更ニ朝鮮ヲシテ禍乱ヲ永遠ニ免レ治安ヲ将来ニ保タシメ以テ東洋全局ノ平和ヲ維持セムト欲シ先ツ清国ニ告クルニ協同事ニ従ハムコトヲ以テシタルニ清国ハ翻テ種々ノ辞抦ヲ設ケ之ヲ拒ミタリ
帝国ハ是ニ於テ朝鮮ニ勧ムルニ其ノ秕政ヲ釐革シ内ハ治安ノ基ヲ堅クシ外ハ独立国ノ権義ヲ全クセムコトヲ以テシタルニ朝鮮ハ既ニ之ヲ肯諾シタルモ清国ハ終始陰ニ居テ百方其ノ目的ヲ妨碍シ剰ヘ辞ヲ左右ニ托シ時機ヲ緩ニシ以テ其ノ水陸ノ兵備ヲ整ヘ一旦成ルヲ告クルヤ直ニ其ノ力ヲ以テ其ノ欲望ヲ達セムトシ更ニ大兵ヲ韓土ニ派シ我艦ヲ韓海ニ要撃シ殆ト亡状ヲ極メタリ
則チ清国ノ計図タル明ニ朝鮮国治安ノ責ヲシテ帰スル所アラサラシメ帝国カ率先シテ之ヲ諸独立国ノ列ニ伍セシメタル朝鮮ノ地位ハ之ヲ表示スルノ条約ト共ニ之ヲ蒙晦ニ付シ以テ帝国ノ権利利益ヲ損傷シ以テ東洋ノ平和ヲシテ永ク担保ナカラシムルニ存スルヤ 疑フヘカラス 熟々其ノ為ス所ニ就テ深ク其ノ謀計ノ存スル所ヲ揣ルニ実ニ始メヨリ平和ヲ犠牲トシテ其ノ非望ヲ遂ケムトスルモノト謂ハサルヘカラス
事既ニ茲ニ至ル 朕平和ト相終始シテ以テ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚スルニ専ナリト雖亦公ニ戦ヲ宣セサルヲ得サルナリ 汝有衆ノ忠実勇武ニ倚頼シ速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ以テ帝国ノ光栄ヲ全クセムコトヲ期ス
(御名御璽)
明治二十七年八月一日
[現代語訳(口語訳)]
天の助力を完全に保ってきた、万世一系の皇位を受け継いだ大日本帝国皇帝(明治天皇)は、忠実にして勇武なる汝ら、国民に示す。
余は、ここに、清国に対して宣戦を布告する。余の政府関係者・官僚・役人のすべては、宜く余の意志を体し、陸上にあっても海上にあっても、清国に対しては、交戦に従事し、それをもって国家の目的を達成するよう努力すべし。いやしくも国際法に抵触しない限り、各員、その立場と能力に応じて、あらゆる手段をつくして漏れ落ちるところの無いように心を定めよ。
余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構えることは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。幸に、諸国との交際は、年をおうごとに親密さを加えてきた。どうして、予測できたであろうか。清国が、朝鮮事件によって、わが国に対し、隠すところのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出ようとは。
朝鮮は、帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の仲間となした一独立国である。しかし、清国は、ことあるごとに、自ら朝鮮を属国であると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対し出兵した。
余は、明治十五年の済物浦条約により、朝鮮に兵を出して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平和を維持しようと欲し、まず清国に(朝鮮に関しては)協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。
帝国は、そのような情勢下で、朝鮮に対して、その悪政を改革し、国内では治安の基盤を堅くし、対外的には独立国の権利と義務を全うすることを勧め、朝鮮は、既にその勧めを肯定し受諾したのにもかかわらず、清国は終始、裏にいて、あらゆる方面から、その目的を妨害し、それどころか(外交上の)言を左右にしながら口実をもうけ、時間をかせぐ一方、(自国の)水陸の軍備を整え、それが整うや、ただちにその戦力をもって、(朝鮮征服の)欲望を達成しようとし、更に大軍を朝鮮半島に派兵し、我が海軍の艦を黄海に要撃し、(豊島沖海戦で日本海軍に敗れ)ほとんど壊滅の極となった。
すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の責務をになうものとしての帝国を否定し、帝国が率先して、独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な平和を保障できなくすることにある。これは疑いようがない。よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとのありかを深く洞察するならば、実に最初から(朝鮮はじめ東洋の)平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を遂げようとしていると言わざるをえない。
事は既に、ここまできてしまったのである。余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念しているのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せざるをえない。汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。
(御名御璽)
明治二十七年八月一日
[キーワード]
開戦の詔勅、宣戦の詔勅