第1章 光明と暗黒は背中合せ
3 生きた「奮闘成功物語」
以上は世間によくある心中譚(ばなし)ですが、仕事の行きづまりから死を決したことのある人も、今を時めく成功者のなかに少くはなかろうとおもいます。
殊(こと)に発明者の殆ど全部は、非常な苦しみを嘗め、生死の間(あいだ)をさまようた人ばかりであります。タクマ式ボイラーという、大きな発明に成功した田熊常吉翁も、まさにその一人でありました。
翁は初めひどい失敗から、内地にいたたまれなくなり、朝鮮の知人をたよって行くその途中の船で、煩悶の果(はて)に投身しようと、夜更けてから舷側に出てゆきました。冴えた秋の月にひろびろと明るい海を見ていますと、言いようのない厳粛な気持ちになり、
「自分から生命(いのち)を絶とうとしたのは何という愚かなことだ。」
と気がつき、死んだつもりでやり直すことに決心したのでありました。
朝鮮に行ったが得るところなく、直ぐ内地に帰り、神戸の場末の貧乏長屋に住居(すまい)を定めました。そして毎日付近の鷹取山にのぼって、ボイラーの研究に耽っているうち、疲れきって山頂の松の根元で昏々と眠りに落ちてしまい、夕方、心配して探しにきた奥さんに起されて眼をあけると、蟻が体じゅう一ぱいにたかっていたという挿話(エピソード)もありました。
こんな悲惨な境遇になっても、初一念を翻えさないどころか、益々精進していると、ある時天の啓示のように頭に閃めくものがあって、翁は「分った、分った、分った」と狂気のように叫びつづけたそうですが、かくしてとうとう成功の鍵をつかんだのであります。
翁は功成り名遂げたとき、昔のことを想うて、さぞ感慨無量だったろうと思います。翁はまさに死の断崖から急転回をやって、一気に光明の世界へ飛び込んだ人であります。その生涯は実に懦夫(だふ)を起(た)たしめる一巻の奮闘成功物語であって、暗黒と光明とは背中合わせの間柄なることをはっきり証明して居ります。
自分で商売をやって居る人や、会社又は商店などに勤めて居る人から、よく不平を洩らされますが、この翁のような奮闘家の経歴を聞くと、小さな不平をブツブツ言うのは、気まりが悪くなるだろうと思います。
小さな不平だろうが、大きな不平だろうが、地位や立場に対して、不足を有(も)っていると、その人は伸びて行けないばかりでなく、自らを滅ぼすことになります。親切な神は、そんなに不平を起させては気の毒だと、その会社をくびにしてやって、もうこの上不平を起さなくとも済むようにしてくれます。同じように、自分の商売は駄目だと決めてかかると、神は、その心に副(そ)うように、商売を駄目にしてくれます。人を殺すものは環境でなくて、その人自身に外ならないのであります。
全く心のもち方ただ一つ。憂鬱な心になれば、世の中は一切憂鬱なすがたになるし、朗かなすがたに急変化します。それは、探偵小説でおなじみのアルセーヌ・ルパンの変装も及ばないほどの早変りであります。
だから、何かしら不平が起ったり、もう駄目だと諦める心がでましたら、ここだ! 自分は今恐ろしい危機に直面しているのだと、自ら省みてつよく警(いま)しめなければなりません。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。