第2章 飛躍の機会を逃すな
1 団菊の『国姓爺』
天は、人を黴(かび)臭い旧天地から、輝かしい新世界へ飛躍させるために、言葉を換えて言えば、向上し、発展し、成功させるために、その機会を与えてくれます。而(しか)も機会は、「その時」にのみある筈のものです。
機会は鳥の如し、飛ばざるに之をとらえよ。
という警訓がありますが、流れる水の二度ともとに帰らないように、一たび去れば再び得られないものは、実に機会であります。だから、天のたまものとしてこれを握り占めるか、手を引っ込めて逃してしまうか、或は、勇敢に新世界に飛び込むか、躊躇逡巡するかが、人生の幸不幸の岐(わか)れ道であると云えるのであります。
明治の劇壇に団菊時代といわれている、最も華やかな、わが演劇史の上の黄金時代がありました。
それは団十郎と菊五郎(先代)という名優が時を同じうして現れ、舞台の上で常に共演していたからであります。三十幾年前の昔話になりますが、私は上京してから後、どんなに生活の苦しい時でも、この団菊だけは見逃さずに来ました。
ある時『国姓爺(こくせんや)』という芝居が歌舞伎座で上演されました。団十郎の甘輝将軍、菊五郎の和藤内(わとうない)で、満都の好劇家の血を沸させる好(こう)取り合せでありました。
私が観に行った日のことです。これからいよいよ『国姓爺』が始まるのだと固唾をのんで待っていましたが、幕はなかなかあきません。三十分、一時間とたって見物は次第にブツブツ文句を言いだした頃、肝腎の菊五郎が急病だということが分って、がっかりしてしまいました。
が、菊五郎に代って和藤内を立派に、而も団十郎を向うに回してやれる役者なぞは勿論ないのです。一体、座の方では何(ど)うするつもりだろうと、多くの見物と共に私も、不安の思いをしていました。するとそのうちに、和藤内の代役は家橘(かきつ)と決ったということを聞いて唖然としました。家橘というのは、今の羽左衛門氏の若い頃の芸名で、その当時は、ずぼらで不真面目だというので評判甚だ香(かん)ばしくなく、いい役がつかなかったのであります。まさかそんな人にこの大役をさせはしまいと、半信半疑でいるうちに、幕があきました。
やっぱり羽左氏でした。が、おやおやと思ったのはほんの一瞬で、忽ちその素晴らしい芸に魅せられてしまいました。
花道を飛んでやって来た時の颯爽たる風姿、六尺の長刀を提(ひっさ)げて団十郎の甘輝に迫る意気込み。微塵のすきも、ゆるみもなく、満場ただ酔えるがごとく見とれてしまったのであります。
長い間、この人の体につき纏(まと)っていた「ずぼら」の名は、どこかに消し飛んでしまったことは云うまでもありません。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。