第2章 飛躍の機会を逃すな
2 羽左衛門氏の妙技(ファインプレー)
ここに私たちの学ばねばならぬものがあります。
菊五郎が急病で仆(たお)れた時、座の幹部たちは、驚いたが、すぐ二三の俳優に向って代役の交渉をしたことは、勿論でありましょう。その人達が辞退したので、弱りきった幹部は、羽左氏に話を持って行った――、私はこう想像します。なぜかというに、そんなに評判のよくない羽左氏のところへ、始めから交渉する筈がないからであります。
然るに、羽左氏は話を聞くや否や、
「ようがす、やッつけやしょう。」と何の躊躇なく、ただ一言の下に引受けて舞台に出たのだ――。私は次にこう想像するのであります。
先代菊五郎の技倆が「百」のものなら、羽左氏は「二十」か「三十」しかなかったのでしょう。これは大変なヒラキです。彼はどうしてこのヒラキを一足飛びに飛び越すことができたのでしょうか。相当の技倆がありながらそれを発揮し得る機会を恵まれなかったこの俳優は、至難の代役を頼まれた時、「やッつけやしょう」と一言の下に引受けた、すばらしいその意気込みは、彼が身内に潜んでいた真技倆を、全身の血管に湧き沸(たぎ)らせてあの溌剌さとなり、あの颯爽さとなり、意気鋭く、迫力強く、大きなヒラキを一気に蹴飛ばして立派な和藤内になりおおせたのであります。言葉を換えて言えば、彼は「菊五郎の代役」という、恐らくは二度と来ない絶好の機会をムンズと摑んで、まっしぐらに新しい世界へ飛躍したのであります。
かくして、殆ど前途を嘱望されていなかったその人の前に、堂々たる位地が齎(もたら)されたのでありますが、これは、身を宙に躍らして、高い横木(バー)の上を見事に飛び越える棒高跳びの妙技(ファインプレー)にも比ぶべきものでありましょう。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。