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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)7_04

第7章 あらゆる物から教えられる

   4 発明はまごころの賜(たまもの)

 独逸(ドイツ)のセネフェルダーが石板印刷術の発明を志したのは、父を喪ってひどく窮乏していた時でしたが、どんなに失敗しても屈することなく、それをつづけていました。
 ある時、母から洗濯物の控えを書くように命ぜられたが、貧しいその家庭には筆墨の用意すらなかったので、実験に用いる石の上に研究用のインキで控えたのであります。ところが、数日を経てその石の面の文字を消そうとして、傍にあった薄い硝酸の液で拭いたところ、文字は消えないで却って石の面(おもて)が腐蝕され、文字の部分はだんだん高くなって来ました。彼は狂喜して飛びあがりました。これが長い間待ち望んでいた「石板」だったのであります。
 彼のこの成功は、まるで偶然に得たもののようですが、決してそんなことはありません。セネフェルダーその人の一念、巌をも通すまごころが「天」に通じて与えられたものに外ならないのであります。
 何かを書こうとして、石の表に研究用のインキを用いねばならなかったほどの貧乏――それが発明の土台になったのですが、「天」は、彼をこうした有り難い境地に置いて、石の面はかくすれば腐蝕し、文字の部分はかくすれば高くなるということを教えて、石板の発明へ導いてくれたのであります。
 発明の物語を読むと、これに近い話に出会うことは少くありません。「無」より「有」を摑みだすような発明は、対手(あいて)の物から教えられなければ容易にできるものではありますまい。では、どうして教えられるのでしょうか。――私達は直感または第一感という、閃くように走ってゆくものを、頭の中に感じさせられます。これによって思いもよらぬものを教えられ、又、忘れていたものを考え出さして貰えるのであります。それは「天」からの大きな恵みでありますが、これを捉えるには、何事でも受け入れる素直な、へり下った心持ちでなければなりません。その一例にこういう話があります。
 獣医のダンロップ氏が、子供を連れて田舎の親戚を訪れる途中、その乗っている旧式な鉄輪のがた馬車がひどく揺れるのを子供が不審がりますので、ゴム輪でないからだと説明しますと、子供は「じゃ、ゴムより軟かい、空気みたいなもので輪を拵えたら、ちっともゆれないね。」とわけもなく言いました。
 ダンロップ氏は、笑って聞いているうちに、「これは馬鹿にならんぞ……」と真顔になって、「そうだ、ゴムの中に空気を入れて見たら。」と気がつきました。そして間もなく、空気入りタイヤは世に送り出されたのであります。氏はこの発明によって莫大の収入を得ましたが、この時もし、子供が何を云うのかと相手にしなかったら、こういう大きな恵みは、氏の前を素通りして行ったに相違ありません。
 ここで、前に云った某部長の社長に対する態度を振り返ってごらんなさい。およそ世の中にあれほど素直な心を有っている人は果してあるでしょうか。さらに命ぜられたことに対する緊張ぶりも、全く驚嘆するばかりです。あれではカナリヤから教えられたと同じように、会社の仕事をする場合は、仕事そのものから教えられて、かならず立派な成績を挙げることができる筈であります。
 小使への命令を自分のことと思い込んでデパートへ行った――、その事一つが、将来の大きな出世を会社から約束されたと言って差支えないのであります。あれを以て愚直な男だと嘲り笑う人が、若しあったら、それは人間栄達の真の道を知らない、世にも気の毒な人と言うべきでありましょう。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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