第8章 平生の用意と緊張
1 常陸山の鼻柱
力士が、立ちあがる機会を覘(ねら)って息をのみ唇をかみ、恐ろしい懸引きを含んだ目で睨みあう様は、全く物凄い殺気が迫って来ます。而も、二つの巨体が猛然として立ちあがったかと思うと軍配が颯(さ)っと空を切って、万事は終りますが、どちらの手かが、一方の隙間に食い入る、その一秒を数十分したほどの短い間に、逸早くも機先を制した方が勝利を得たのであります。
その刹那の先手に出た方は、運がよかったのだなどと云う人があらば、それは人間がいかにして群を抜いて進んで行くものであるかを、考えたことのない人に相違ありません。
ローマは一日にして成らずで、事の成功には、必ず遠因と近因とが伴っています。この刹那の千手というのは、土俵に相対した時、はじめて工夫し得たのでは決してなく、
「矢ぐら太鼓にふと目をさまし、明日はどの手でなげてやろ。」
と唄にあるように、朝、目をひらいた時からの緻密な工夫、寸分のゆるみも見せぬほどの緊張に原因しているは勿論、更に溯って、そもそも相撲道に入ってからこの方、平生に積み重ねて来た用意と緊張との現われであるといっても過言ではないのであります。
彼等は平生、茶を飲むにも、飯をたべるにも、茶碗の持ち方、箸のにぎり方にすらも、相撲の手の工夫用意を忘れることなく、電車の釣革にぶらさがっているときでも、四股をふみ、敵の隙間を覘(ねら)う工夫を怠らぬ心組が、やがて本場所の一番勝負に、機先を制する力となるのであります。
明治の角界に雄視した常陸山に向って、ある人が、
「どうして横綱までの修業をしたか。」
と聞きましたら、彼は顔をつき出して、
「おれの鼻を押えて見るがいい。」
というので、不思議におもって触って見ると、驚いたことには、鼻柱が挫けていたし、耳たぶもひしゃげてしまっていたそうであります。彼が日の下開山と呼ばるるまでには、こういう苦心が潜んでいたのかとおもうと、誰しも頭が下らずにはいられますまい。
人生は競争場であり、また一大競技場でもありますが、凡そいかなる競技にも一番大事なのは、スタートを切ることであります。競馬は勿論、長距離競走など、すべてスタートを切る刹那に一寸でも遅れると、長いコースの間、その取り返しに一方ならぬ骨が折れます。
しかし、そのスタートを切るときの機先を制する用意は、馬ならば調御、飼葉、騎手の訓練、馬と騎手との寸分たがわぬ意気の投合等、平生に数々の準備が要るのであります。
碁でも将棋でも、先んずれば人を制すで、いつも先手、先手と機先を制してゆかねばなりませんが、しかし、その場に臨んでの一時的緊張では、決して先手に出られるものではなく、一切の事みな相撲と同じように、平生の用意、平生の緊張が、いざという時の勝利となるのであります。
出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)
※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。
※佐藤義亮の著作権は消滅している。
佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。