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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)10_03

第10章 嫌いな仕事が好きになる

   3 太刀山と吉右衛門

 元横綱の太刀山は、昨年の二月に行われたその還暦祝賀会の余興に、横綱土俵入りの型をやって、老来なお素晴らしい元気なところを見せましたが、あれだけの大力士でも、始めは相撲取りになるのがいやだいやだと言って、嫌いぬいたのでした。
 彼が青年の頃、途方もない大力であることが郷里の新聞に出たのを見た板垣退助伯(大へんな相撲好きで、国技館と命名したのもこの人)はひどく喜んで、早速その男を上京させるよう、時の内務大臣西郷従道侯から富山県知事に命令してもらいました。併し、彼は相撲とりだけは御免を蒙りますといってかぶりを振るのを、知事は
「君が上京してくれなければ、私は上官の命令にそむいたことになる。とにかく、体を見せるだけでよいから是非行ってくれ。」
といって無理やりに東京へ連れてゆきました。板垣伯は彼の体を見てすっかり惚れこみ、しきりに相撲になるようにすすめましたが、どうしても聞き入れません。伯は相撲の立派な国技であることから、当時の角界の内情は彼に奮起して貰わなければならぬわけを諄々と説きましたので、彼は断る言葉に窮し、とうとう承知してしまいました。
 さて力士になった以上、もはや好き嫌いなどをいってはいられません。伯に対する知己の情からも立派なものにならなければ済まないと、天性の負けじ魂をふるい起こして、猛稽古をはじめました。元来の大力は、この猛稽古によって無双の強さを発揮し、ぐんぐん先輩を乗りこして忽ち幕の内に入り、遂に横綱で頑張ること七ヶ年に及び、天下無敵を以て称されました。
 もし彼が、相撲に対してどこまでも「食わず嫌い」を突ッ張っていたら、富山県のなにがし村に、大飯くらいの馬鹿力ある百姓として評判されただけで終ったかも知れません。人は運命だ――と言いますが、結局は決心と努力であることを今更のように思わされます。
 俳優の中村吉右衛門は、小さい時分は芝居がいやでいやでたまらず、絵かきになりたいと駄々をこねて、父の歌六をてこずらしたそうであります。地位の高い俳優の子弟は、小さいうちに初舞台を踏むことを例としていますが、彼はどうしても言うことを聞かず、小伝次等が子供芝居の一団を組織したとき、ひきずられてやっと舞台へ立ちましたが、非常な評判となったので当人もおもしろくなり、それから熱心な稽古を積んで、とうとう今日の地位になる土台を築きあげたということであります。
 時代劇では随(つ)いて行ける人がないといわれるこの名優に、芝居を厭がった逸話のあることは、面白いと思います。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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