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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)11_01

第11章 癇癪の虫を封じる

   1 怒って黒星

 昨年春場所の大相撲の中で、五日目の金湊と名寄岩の取組みは、どちらもその日まで土つかずだったので、満場の人気を背負(しょ)った両力士の緊張ぶりは、一段でありました。
 名寄岩はひどい癇癪もちだそうです。それを承知の金湊は、気合いの未だ熟さないうちに、「やッ」と立上りざま、名寄の肩を強く突き飛ばして、土俵の下まで転がり落としました。怒気心頭を衝いた名寄は、憤然として取組みました。まるで喧嘩相撲のような激しさで、名寄は二度までも金湊の顔に猛烈な張り手を呉れましたが、それがために体勢を損い、結局負けてしまいました。
 翌日の新聞にこの取組みの記事が載っていましたが、「怒(おこ)った名寄は黒星」という題目に私の興味はそそられました。そして嘗(かつ)て、横綱大錦と陣立との取組みを憶いだしたのであります。これも機の熟さないうちに、陣立が突然、錦の両足をとり、東溜りに真逆様に投げ込んだのですが、錦は悠々起きあがって砂を払い、土俵にのぼって来た時、何事もなかったような平気さで、顔に微笑さえ浮べて居りました。そして簡単に相手を一捻りに捻り仆しましたが、さすがは横綱の心境と、当時敬服したのであります。
 これは相撲ばかりでなく、碁や将棋など、よく相手をからかったり、厭がらせを言ったりします。言われた方が釣り込まれて癇癪を起すと、名寄岩同様、マンマと敵の作戦に嵌り込まなければなりません。勝も負けるも、技倆の外には、心境一つで決まります。
 それが一層端的にあらわれるものは、剣道でしょう。おなじみの『大菩薩峠』の机龍之助が、武蔵太郎の名刀を青眼に構えたまま、わが刀に相手の刀を聊かも触れさせず、いつ迄もじいッとしている、得意の「音無し」でやられると、みな焦れだして、両の小鬢のあたりに脂汗がにじみ、癇癪筋が額に動きだします。この時いらって打ち込んで行くが最後、血に喘ぐ武蔵太郎の鋭い切れ味を喫しなければなりません。剣と禅は一致すると言いますが、結局心の平静であるか何うかによってその一切は決します。
 談判や交渉事などの場合、どうしても癇癪を起さぬ人があります。向ッ腹を立てたり、いらついたりする人がそれに対しますと、まるで音無しの構えに抑えつけられるように心境負けがして、手も足も出なくなるのであります。
 秀吉が藤吉郎時代、何か献策すると、信長は、出過者の猿めと口汚く叱りつけましたが、元気で朗かで、而も主人おもいの秀吉は、ただの一度も怒った顔などしませんでした。信長は次第に秀吉が好きになり、秀吉に心を牽引かれて行きました。信長は心境に於て秀吉に負けたのであります。
 今日高い地位に立っている人たちの経歴をしらべたら、その出世の途中に於いて屡々これに類した話を発見するに相違ありません。学識才幹兼ね備わりながら、志を得ないで不遇を嘆いている人は、大抵は右の反対の、癇癪が禍をなしている場合が多かったことと思います。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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