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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)11_04

第11章 癇癪の虫を封じる

   4 腹の虫封じのお呪い

 某会社に入っている知人の息子が、先日、平生(ふだん)よく小言ばかりいう課長と、ふとしたことから言い合いをして、「誰がこんな会社にいるもんか」と辞職届を叩きつけて出たのであります。さて一晩寝て翌朝になって考えて見ると、「しまったことをした。あんな良い会社は外に二つとありゃしない。」と気がつき、早速あやまりに行ったのですが、後悔あとの祭り、もう駄目でありました。
 その青年が私のところへ来て、「私もそれほど癇癪もちではありませんが、その日の虫のいどころが悪かったでしょう。」と言うのです。
 そう聞くと、悪いのは虫で、当人には一向責任がないように思われて少々ムシのよすぎる話でありますが、兎に角この虫は実に厄介物です。ひどくあばれだすと、人間一生の運命を葬ってしまう場合さえあります。
 神経質な子供が、幾晩も幾晩も泣いて寝つかないことがありますと、この子は虫を起したのだといって、『虫封じ』のお呪(まじな)いをすることは、東京も地方も変りがないようであります。しかし単に子供ばかりでなく、大人こそ大いにやって貰わなければなりません。それは、癇癪の虫が勝手にあばれださないよう、しっかり封じこめてしまうのですが、そのお呪いは、
「どんな場合にも感情に走らない。」
というのです。これを、気のついた時は、いつでも心の中で繰り返しますと、効果はてきめん、頭の血がすうと下って癇癪の虫はおとなしくなります。殊に談判、交渉事の場合、このお呪いを唱えてから対手(あいて)に会う用意が必要であります。
 癇癪は、つまり感情に囚われるから起るのであります。世の中の一切が自分の思うようになってくれたら、さぞ結構でしょうが、そうならないので、腹が立ったり悲しくなったりするのであります。しかし、それが人生のすがただ、世の中はそういうものだと、はっきりわかったら、不足心は出なくなる筈です。雨も自分の都合のよい時ばかり降らせたい、雪もスキーをやる時だけ降ってくれたら具合がよいだろう、などと思っても、そうは行きません。それが人生だとはっきり分って見れば、雨が降っては困る時に降られても、又、雪が少なくてスキーが十分やれなくても、不平をいう気にはなれなくなります。商売が思うように行かなくても癇癪を起さず、自分の努力が足りないからだと反省して見る気になりましょう。
 これが心の広い人であって、海が流れ来る一切のものを呑み込んで知らぬ顔をしているようなものです。小さな石を一つ、海に投げつけても、そんなものは何処(どこ)に何うなったのか、てんで問題になりませんが、その小石をコップの中に落すと、波が騒ぎ立って暫くは静まりません。一寸したことに感情を動かし神経を尖らすのは、小石一つで波が騒ぐようなもので、コップ程度の価値しかない人物であります。海のように心の広い人――、そうなることはもとより容易ではありませんが、私たちの修養の目標はそこに置かなければなりません。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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