スポンサーリンク

『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)12_01

第12章 小事に油断するな

   1 吸殻入りの小箱

 大倉喜八郎男が、曾て欧州視察に行った時のことでありますが、ロンドンで英国第一の紡績機械工場の持主ブラット氏を訪ね、その応接間に備えつけてあった上等の紙巻煙草を吸いながら、大きな取引きをはじめたのであります。
 大倉男は、煙草の吸殻を何気なく庭へ捨てようとすると、ブラット氏は、
「一寸お待ち下さい。それはどうかこの中へお入れ願います。」
と、小箱をさしだしました。そして訝しげな顔をしている大倉男に向って、
「吸殻をこうして箱に入れて置けば少しも危険はないし、溜ったものを職工たちに与(や)ると、大きなパイプに詰めて喜んで吸いますから、一挙両得になります。」
と、説明されました。
「いろは歌留多」に、「油断大敵、火がぼうぼう」というのがあります。火災の原因は、煙草の吸殻の不始末が大部分だと昔から言われていますが、昨年の暮にもそれを裏書きする警視庁の発表がありました。ブラット氏が、一本の煙草の生命(いのち)を最後の最後まで生かしはたらかすと共に(ものの生命を無駄にするようでは、その人も家も決して栄えません……)、それから起る危険を完全に防ごうとする用意の何という周到なことでしょう。
 先年、日暮里の玩具工場で、一人の職工が乱暴にマッチを擦ってポンと投(ほう)ったのが、セルロイドに引火し、忽ち大火事になって死人まで出したことがありました。マッチを擦るにも、心得がいります。それは擦紙を縦に擦らずに、上の端から順々に横に擦るので、そうすれば、擦紙を縦に擦るよりは何倍かの使用に堪えるので、マッチを本当に活かして使うことになります。玩具工場の職工が、こういうマッチの使い方を知って取扱いに細心の注意を払ったら、あんな惨事は起らなかった筈であります。
 まことに、油断大敵、火がぼうぼうであります。ある雑誌の漫画に、「火の用心」の夜回りをする男が、自分の腰にさげた提灯が燃えだしているのを知らずに、拍子木を叩いて歩いている絵がありました。世上これに類する笑えぬ滑稽は、決して少くはなかろうと思います。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Secured By miniOrange