スポンサーリンク

『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)12_02

第12章 小事に油断するな

   2 最後の一瞬の緊張

 「油断」という文字は、仏教の中から出たもので、昔、印度のある王様が、何か悪いことをした家来に、油の一杯入っている大きな鉢を高く捧げさせ、もしその中の一滴でもこぼしたら、命を断ってしまうぞと厳しく言いわたし、侍臣に剣を抜いてその男を監視させたというのであります。
 「油」のために命を「断」たれるというところから、油断の熟字ができたのでありますが、世の中には、一滴の油をこぼした為めに、一生の運命を台なしにしてしまったというような場合は、どんなに多いことでしょう。例えば、将棋などは、遊び事のなかで、最も闘争的であるだけに、盤の上から一瞬たりとも気を許しては居られません。僅かに「歩」一つのぞんざいな動かし方から飛んでもない局面となり、全軍敗退しなければならぬ原因をつくる場合すらあります。
 野球には、特にそういう例は多いだろうと思います。いつの事でしたか、はっきりした記憶はありませんが、明治と立教との、とても白熱した試合で、明治の強打者某君が、本塁打(ホームラン)をうったのであります。某君はカーンと打った白球が外野の芝生に入ったとみるや、勇躍、一塁をこえ、二塁三塁をふみ、味方の拍手に迎えられて本塁にかけこんで、ベンチに引きあげようとした時、球審は右手をサッとあげて、「アウト」を宣告したのであります。それは折角の本塁打をうちながら、最後に本塁を踏まなかったので、立教の捕手から抗議の出た為めでした。
 試合はたしか一点の相違で明治の負けになった筈です。あのときの本塁打が物をいっていたら、試合はどう逆転したかも知れなかったのであります。
 わけなく踏める本塁を某君はなぜ踏まなかったか? それはアアよかったという安心が、その頭に閃めいて行った刹那に緊張は消し飛んでしまったのか、或は、昂奮にすっかり逆上(のぼ)せあがって、目がくらんだ為めかでありましょう。
 いずれにせよ、実に恐ろしいことであります。而もこういう失敗は、決して野球の場合のみでなく、
「あの時の本塁打が物を言っていたら……」という長く後まで残る嘆声は、人生のあらゆる場合によく聞かされるところであります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Secured By miniOrange