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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)14_05

第14章 取越し苦労に囚われるな

   5 身辺様々の取越し苦労

 食物(しょくもつ)を前にしていながら、食欲のない病人が気の毒なように、蒲団にくるまっていて寝られないというのも、可哀相であります。しかし、食欲のないのは、大抵、こころの我儘がそうならしめるように、不眠もまた、自分で製造する場合が多いのであります。
 二晩や三晩寝られないことは誰しもよくあるものです。それを不眠症にかかったのだと決めてしまうと、睡眠剤の厄介にならずにいられませんが、これは取越し苦労にやられたのだと悟り、寝られなかったら寝ずにいるだけだ、人間は五日や十日寝なくても死ぬような弱いものでないから――。こんな調子で暢気に構えて本でも読んでいると、自然に快よい眠りに入って行かれます。寝られないことが大変だと心配しているうちは、どんなにしても駄目であります。
 一日を勤労、休息(遊び)、睡眠の三つに等分し、睡眠は一日八時間とらなければならぬと昔から言っていますが、これは誰が決めたのでしょう。こんな詰らないことを決めてあるので、心配性の人は、いつもより寝不足なときは、きっと体に障るものと思い込んでしまうので、病気を恐れる心は病気を呼ぶと前に言った通り、たちまち頭が痛くなったり体がだらけて来たりします。これは取越し苦労が、そうさせるのだと悟り、人間は睡眠時間の不足でへこたれるようなものでないという信念を摑みさえすれば、一遍にそんな悩みは突き破れます。戦地で奮闘される人たちが、毎晩毎晩の不規律な睡眠で何の故障もないのは、そんなことを苦に病む余裕がないからであります。
 小さなことですが、自動車や電車に乗るときっと吐く人があります。これも、乗物に弱いと決めてしまうからで、二度や三度吐いても何とも思わず、平気でいれば癖にならずに癒(なお)ってしまうものであります。
 又、牛乳を飲むと下痢をしたり、何かの魚をたべて腹痛を起したりすると、これは自分の性に合わないと決めてしまう人がありますが、食物が性に合うとか合わぬとか、そんなことは絶対にありません。何かの具合で下痢の起きそうなときに牛乳をのんで、それで牛乳は下痢を起こすと思い込んだだけでしょうから、一寸気持をかえて平気になれば、何の障りもなくなってしまいます。
 こういうようなことは、大抵の人の身辺に群がり起っています。それは取越し苦労は千手観音のようにいろいろの手を出していろいろの事をやりだすからですが、その中で特に恐ろしいことは育児の上であります。
 親の取越し苦労は、その愛児を弱くせずには措かないので、やれ風邪を引かぬか、食あたりをせぬか、運動がすぎはせぬか、危ないことをしないかと、注意の範囲を超えて取越し苦労をやろうものなら、物を怖じ恐れる親の心はそのまま子供に映って、絶えずビクビクする神経質の弱い子供にさせてしまいます。田舎の里親に預けて野育ちにした子供は、家に置いて可愛がりぬいている子供とは比較にならぬほど伸々と育って、元気で丈夫である事実が、これを証拠立てています。
 自分に対する信念がなく、物を恐れ憚るあまりに取越し苦労となるのですから、その副産物は当然、迷信でなければなりません。やれ運勢はどうだ、やれ方角はどうだ、日がよいか凶(わる)いか、合性がどうかと様々のものに迷わされて、この涯もなく広い世の中を、自分から小さく切り刻んで、その中に窮屈な暮しをしています。私はこういう気の毒な人のために、他日稿を改めて書くことにして、ここには、迷信者に三斗の冷水を浴びせかける徳川家康の言葉を記します。
 家康が石田方の連合軍と会戦する時、家康の運勢は西が塞がっているから、此処に留まって敵を迎え撃つがよいと進言する者がありました。家康はそれを聞くや、
「余の運勢は西が塞がっているなら、進んでそれを突き破るまでだ。」
と言って、馬を西へ急がせました。
 取越し苦労の亡霊もこれでは退散する外ありません。私たちもこの意気で、余計なことに囚われず、おのおのの仕事に邁進するとき、はじめて朗かな生活が楽しめるのであります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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