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『向上の道―生きる力 第二編』佐藤義亮(新潮社)16_04

第16章 与えられた処を喜ぶ

   4 反省させられる例話

 独逸(ドイツ)にクンツという貧乏人がおりました。ある日労働に疲れての帰りに、飲食店に立ち寄り、貧しい食事で飢えを凌いでいますと、頗る高級な自動車が来て店の前に駐(とま)りました。車中の男は戦争成金らしく、高価の炙肉(やきにく)と上等の葡萄酒を運ばせ、車中で坐りながら食べ始めました。クンツは羨ましくて堪らず、
「ああ俺だって同じ人間だのに、どうしてこんなに惨めなのか。」
と声をあげて喚きました。車中の人はこれを聞いて、
「そんなに俺の境遇が羨ましいのかい、それなら俺の財産と君の体と、そっくりそのまま交換しよう。今直ぐでもよい。」
「それは本当ですか。何という有難いことでしょう。どうか今直ぐ取換ていただきたい。」と大喜びです。
 車中の紳士は、「それでは!」と車を降りようとした時、従僕が駆けつけて抱くようにして下したのを見ると、その紳士は躄(いざり)でした。クンツは吃驚(びっくり)仰天して、
「千台の自動車より、日本の足の方が結構。」と言って逃げてしまった――という寓話があります。
 世の中は、何とこのクンツの多いことでしょう。自分の置かれた処を喜んで最善の努力をつくすという心掛けがなく、徒らに他を羨み他を真似るのは皆このクンツの群でありますが、私はそういう人たちのために次の話を述べることとします。
 今から四年前、某県の女子高等師範を優等で卒業した某婦人は、ある事情で就職に遅れ、程経ってから某女学校の好調に世話を頼んだ所、校長の言われるには、
「教師の口はもうどこにもありません。たった一つある椅子は、ここの受付だけです。これをやって見てはどうですか。高師(こうし)出の受付係は、さだめし侮辱にも感じられるでしょうが、しかし本当の教育者となるには、何をやってもソツのない「人」となることです。社会のゴミの中にまみれて、自らを信ずることのできるようになって始めて教育家たるの信念がもてるのですから。」
 ここまで聞くと、その婦人は頭を下げて、
「ありがとう存じます。願ってもないことでございます。」
と、心から喜んで引受け、玄関近くの受付口に坐ることになりましたが、どんな人にも慇懃に接し、その取次ぶりが極めて親切なので、来客はみな満足して帰り、その噂が校外にまで伝わりました。
 たまたま朝鮮の某女学校の校長が生徒を連れて修学旅行に来てこの受付ぶりに感心し、どういう人かと経歴を聞いて成程と膝を叩き、遠くてお厭でもあろうが、ぜひ私の学校にと懇望しました。すると、どんな処でも教育の御用に立つことなら結構ですと、早速渡鮮したのであります。
 朝鮮でも、その忠実にして行き届いた教え方が評判になり、一年ほど居るうちに、内地の某女子師範から強(た)ってと所望されました。朝鮮の校長からも、待遇はよし、出世になることだから是非赴任されたがよいと勧められ、そこへ就職したのは今から二年前ですが、この頃では令名いよいよ高まるばかりと聞きます。
 女子最高学府の出身で、しかも在学中秀才と謳われた人が、喜んで女学校の受付になる! まことにこれ世のクンツ連の思いも及ばぬことであります。果して、女子教育家として勤め甲斐あり力の入れ甲斐ある今日の立場を得たのでありますが、それは畢竟、与えられた処を喜ぶ心境の賜(たまもの)に外ならないことを、ここに繰返して置く次第であります。

出典:『向上の道―生きる力 第二編』 佐藤義亮(1938・新潮社)

※原文は、旧字旧かな。新字新かなに改める。また、踊り字を正字にするなど一部表記を変える。

※佐藤義亮の著作権は消滅している。

佐藤義亮(さとう・よしすけ(ぎりょう))
明治11年(1878)-昭和26年(1951)
新潮社の創立者。

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