野口シカが息子の英世(清作)に宛てた手紙。
英世が日本を発ってから12年の後に、アメリカの彼のもとに届いた。
文字の読み書きのできない母からの手紙をアメリカで受け取った英世は相当な衝撃を受けたことだろう。
シカは貧しさのために幼いころから働いていて、教育を受けられなかったので文字が書けなかった。しかし、懸命な努力によって字が書けるようになっていた。
45歳の時からシカは、農作業や荷物運びなどの仕事に加え、産婆(助産師)もするようになる。
ところが、翌年新しい法律ができて、産婆をするには検定試験に合格し、免許を取得することが義務付けられた。
シカは猛勉強の末、産婆の資格を得る。お盆に灰を敷き、そこに指で文字を書き勉強したといわれている。
手紙は、そのようにして覚えた字で書かれたものである。
手紙の消印は、明治45年(1912)1月23日。
シカ58歳、英世35歳の時のことである。
感動的な名文。
「野口シカの手紙」[筆者作成pdf]
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シカは、産婆の資格を得てから30年間で約2000人の赤ん坊をとりあげ、みな安産であったという。
ある時、なぜみな安産なのかと聞かれたシカはこう答えたという。
「お産の時は必ず観音様にお祈りしながらやんのし。そうしっと観音様がお力を貸してくれらんのし」
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