『物質と記憶』アンリ・ベルクソン、杉山直樹訳(講談社学術文庫)
2019年
392頁
目次(収録作品)
第1章 表象化のためのイマージュの選別について―身体の役割
第2章 イマージュの再認について―記憶力と脳
第3章 イマージュの残存について―記憶力と精神
第4章 イマージュの限定と固定についてー知覚と物質。魂と身体
要約と結論
フランスを代表する哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941年)が残した主著の一つである『物質と記憶』(1896年)については、すでに7種もの日本語訳が作られてきた。1914年に初版が刊行された高橋里美訳(星文館。1936年には岩波文庫に収録)のあと、戦前には北れい吉訳(新潮社、1925年)が、そして戦後になると、田島節夫訳(白水社、1965年)、岡部聰夫訳(駿河台出版社、1995年)が続いたあと、近年は、合田正人・松本力訳(ちくま学芸文庫、2007年)、竹内信夫訳(白水社、2011年)、熊野純彦訳(岩波文庫、2015年)が数年おきに刊行されてきている。
そのような状況の中、ここに生み出された新訳は、19世紀フランスに見出される唯心論の潮流をもフォローしつつベルクソン研究を最先端で支える第一級の研究者が満を持して送り出すものである。既訳のすべて、そして公刊された原文のエディションすべてを比較・検討した上で、日本語としての読みやすさへの配慮はもちろん、「単語単位での一対一対応の翻訳」を徹底的に排して「ベルクソンの議論や論証の流れをできるかぎり正確かつ明晰に写す」ことを目指して造り出された訳文は、どの既訳とも異なる、まさにベルクソンの思考の息吹きを伝えるものとなった。
学位論文『意識に直接与えられたものについての試論』(1889年)のあと、ベルクソンが「イマージュ」を軸に据えて展開した思考は、どこへ向かうのか? 本書では、簡にして要を得た「訳者解説」で読解のための道標を立て、1. 主観ないし意識とは、閉じたカプセルのようなものではない、2. 主観と客観は、時間的スケールに関して区別される、3. 過去の実在論、4. 前進的生成、「記憶力」と「記憶」というポイントを提示する。このあと『創造的進化』(1907年)、『道徳と宗教の二つの源泉』(1932年)へと展開されていくベルクソン哲学の真髄を伝える本書の「決定版」を、今ここにお届けする。
出典:講談社BOOK俱楽部
『新訳ベルクソン全集 第2巻 物質と記憶―身体と精神の関係についての試論』アンリ・ベルクソン、竹内信夫訳(2011・白水社)381頁
『物質と記憶』アンリ・ベルクソン、合田正人・松本力訳(2007・ちくま学芸文庫)430頁
『心と身体 物質と記憶力―精神と身体の関係について』ベルクソン、岡部聰夫訳(駿河台出版社)474頁
(1995年刊『物質と記憶―精神と身体の関係について』amazonに手を加え復刊したもの)
『物質と記憶』アンリ・ベルグソン、田島節夫訳(新装復刊版1999・白水社)313頁
『物質と記憶』ベルグソン、高橋里美訳(1936・岩波文庫)322頁
((おそらく)旧字旧かな)
『物質と記憶』ベルクソン、熊野純彦訳(2015・岩波文庫)528頁
(訳が悪いとの評がけっこうある)
精神と物質、こころと身体の関係。アポリアと化した〈心身問題〉にベルクソンが挑む。実在論や観念論の枠組みを離れて最初から考え直してみること。そのためには問題の立て方じたいの変更が求められる。身体は生きるために知覚し、精神は純粋記憶のなかで夢みている。生の哲学から見られたときに現れる新たな世界像とは。新訳。
本書表紙(カバー)より