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和気清麻呂の神託

我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除(そうじょ)すべし。

わが国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分が定まっている。臣下が皇位につくことはないことである。皇位は必ず皇胤(こういん)が受ける。無道な人間はすみやかに取り除くべきである。

出典:『渡部昇一の古代史入門―頼山陽「日本楽府」を読む』(PHP文庫)[amazon]

※天津日嗣(あまつひつぎ)―皇位。皇位の継承。

宇佐八幡宮神託事件【うさはちまんぐうしんたくじけん】

奈良時代に道鏡(どうきょう)が天皇位を得ようとして阻止された事件。766年称徳(しょうとく)天皇の寵(ちょう)を得ていた道鏡は法王に任ぜられ,天皇に準じる高位に昇った。
769年豊前国宇佐八幡宮(現大分県宇佐市の宇佐神宮)の八幡神が,道鏡を天皇にすれば天下が太平になるとの神託を称徳天皇に奏上(そうじょう)した。天皇は夢で八幡神から宇佐に尼法均(ほうきん)(和気広虫(わけのひろむし))を派遣せよと求められ,代わりにその弟和気清麻呂(きよまろ)を派遣。清麻呂が神託を請うと,〈道鏡は悖逆無道(はいぎゃくむどう)〉〈天つ日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇緒(こうちょ)を続(つ)げよ〉との道鏡不適格の託宣(たくせん)を得た。
清麻呂はこれを天皇に奏上したため大隅国へ流されたが,天皇も道鏡を天皇の位につけるのを断念し,天皇の死後に道鏡は失脚した。

出典:百科事典マイペディア

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