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日本の都市(三十二)和歌山市

日本の都市(三十二)和歌山市(「東京時事新報」明治45年(1912)1月23日-24日)

日本の都市(三十二)
和歌山市(上)

和歌山或は若山に作る紀之川の南岸に布置して其支流たる雑賀川に跨り南は雑賀崎に連る一帯の平地にして古の雄之水門吹上浜の地に当ると云えり天正十三年豊臣氏紀州を平定の後ち此地を族(ぞく)秀長に加封したれば秀長は其の将梁山重晴*をして吹上の岡に築かしめぬ大阪の役重晴此城を守りて東軍に応じたるも平定の後ち和泉の布施に移され浅野幸長四十万石を以て新に入部大に城市を経営して其面目を一新したり次で二十余年の後ち浅野氏安芸に移り常陸介頼宣入部五十五万石を領して威を近畿南海に振う藩祖南竜公是なり爾来三百年徳川親藩の一として南国の鎮を為し士庶大に集りて工商の業又頗る盛大、維新の後は更に織物工業に於て一頭地を抜き今や市の広袤東西二十六町南北三十二町、戸数一万九千、人口将に七万に達せんとするの大市街を形成するに至れり
和歌山市に始めて市制を布きたるは去明治二十二年にして当時の戸口は一万七千九百戸、五万六千人、歳入出二万千五百余円、内市税収入一万百七十円、(教育費支出一万二千円内外に過ぎざりしが彼の二十七八年戦役の後に於て各種の事業一時に勃興し殊に運輸交通の機関次第に整備せられんとして三十一年には大和より南下する旧紀和線(今の関西線)並に大阪より堺、岸和田を経て東南走する南海鉄道の竣工するあり次で電灯会社成り紡績会社起り四十年には電話開通四十二年には市より和歌之浦に達する電車の運転を見翌年は更に紀三井寺まで延長するの盛況を呈したる結果は忽ち市勢に現われ来りて最近の戸口数は前記の如く戸数は一割口数二割を増加したると同時に最近年度の歳入出額は実に十九万九千円に上りて二十二年前の約十倍、市税十万千円教育費七万三千九百円に達して前者は歳入出と同ぐ十倍、後者は六倍強の激増を見たり
以上の如く発展膨脹し来れる和歌山市現在の教育事業並に其成果を見るに普通教育に於ては尋常小学校九校此学級数百三十四高等小学校男女別各一校此学級数十七あり位置何れも適当にして設備また完成の域に達し近く区有財産たる校地校舎をも市に寄付統一の実を挙げんとするの計画あり又特業教育に在っては三十七年四月の設立にかかる和歌山商業学校、四十二年六月の開校にかかる和歌山裁縫女学校並に商業補習学校、幼稚園等あり商業学校は経費年額一万二千円現在の生徒二百六十余名にして卒業の上は何れも実業界に出でで直ちに活動し得るの教育を授けらる裁縫学校又百六十名の生徒を有して我邦婦人に必須の裁縫術を教ゆ補習学校の生徒は百二十二名、幼稚園は三箇処に在りて総数九、幼児三百七十余を収む
社会教育に於ては県の施設にかかる和歌山図書館、常設物産展覧会及び不良少年の感化場たる仙渓学園等あるも直接市の関係する処にあらず則ち市は此種の事業に於て聊か欠如せる如しと雖も教育家の一大団体たる和歌山攻玉協会紀伊教育会和歌山支会等にては毎歳四五回学者経験家を聘して講演又は講習の会を催し本年は紀伊教育会支会に於て小学教員に商業科講習会を開きたる如き又攻玉協会に在っては常に法制経済の講習会を開設し市内の小学教員全部の出席を見つつある等何(いづ)れも其成績良好なるを認む
劇場寄席等市の風紀に関する経営は大抵個人の事業に委ねて市は単に其取締を為すに過ぎず現に劇場に於ては紀之国座弁天座、大黒座等あり又寄席には朝日座電気館明光倶楽部和歌山館等を見るも其規模其施設何れも進歩的見地より批評す[べ]き何物をも有せざるを憾みとす而して勤倹貯蓄の声は市内の到処に盛大にして各種の公共団体何れも之を奨励せざるなき状況なるが今官衙学校会社等に分ちて其蓄積高を調査するに官衛二百三十九人金額六千二百五円余、会社三千九百四十四人金額八万九千二百二十七円余、学校三千九百三十九人金額五万一千百二十八円余則ち合計十四万六千五百六十一円余にして其成績不良なりと云うべからず因(ちなみ)に右は何れも去る四十二年十一月の現在高に拠れり
和歌山市の救済事業は甚だ幼稚にして各方面に亘りて何等発展の跡なきが如し尤も去四十一年以来孤児院、救済院、慈善社等の設立を見たる事ありしも或は経営の方法を失し或は私利の具に供せんとする者ある等遂に相次で仆れ今は唯仏教信徒の団体たる真友婦人会並に旧藩主徳川侯爵家より寄贈の財団法人徳義社の存するに過ぎず前者は茨木男爵夫人を会長として四百名の会員を有し博愛慈善の道を修め併せて婦徳を涵養するを目的とするものにして現に七名の孤児を収容し後者は旧藩士の子弟にして前途有望の者を養成すると同時に又孤独老廃をも救恤せんとするに在りて現に救恤を受くる者二十名一人一ヶ月玄米七升五合宛を給与しつつあり侯爵家の旧領地に対する真に尽せりと云べし

[筆者注]
おそらく、桑山重晴の誤植。

日本の都市(三十二)
和歌山市(下)

和歌山市内の道路橋梁は明治三十八年前迄は悉く県費負担のものなりしが同年に至り国県道として七条の線路を除くの外(ほか)全部市費負担に移り随て経費の膨脹を来したること少からず市は爾来各線の修補改造に忙殺せられ居れるが大体に於て確立実行する道路改修の方法なるものは先ず阪路の切下を行うこと、屈曲線を変換すること路傍の雨水溝を改造し並に未設箇所にも普及せしむること等にあり而して路傍植樹は去明治十七年以来年々植継を為し来り其已に成木せし重なる場処は内川の川端路傍の柳樹、城濠沿路傍の松樹等にして風致衛生両(ふた)つながら市民の享受する利益決して尠少に非ざるなり
電気鉄道は和歌山水力電気会社の経営に依り市より黒江町に達する目的を以て全部単線式とし特許となる処あり目下は市より紀三井寺畔まで開通し居れるが単線式にては市街線の速力に制限を加えられて交通機関として其目的を十分に到達すること能わざるを以て工事着手の後(のち)更に複線式に改めたるが経費上より全線を同一時に改築すること能わず著々実行し居るの状景なり然れども去四十二年一月の開通以来市民の交通に利便を与うる事真に多大にして随て市勢の発展に貢献する又尠少に非らず而して和歌山市には未だ家屋制限の規定なきも公告取締に就ては昨年県令を以て其制限を設けらるる所あり美観風致を傷くべきもの又は風俗道念を害うべきものに向っては厳重に取締規定を励行しつつあり
和歌山港湾の造営は多年の懸案にして市の休戚と相関する大問題なるが惜しい哉未だ成案の運びに至らず然れども港口は年に月に閉塞して一日も忽(ゆるがせ)にす可らざるを以て焦眉の急に応ぜんが為め去三十六年より毎年経費の半額を市より県に寄付し継続事業として浚渫を行い今尚お実行中なるが其成績に至りては漸く帆船の出入に支障なきを得たるに止まり未だ予期の目的を達すること能わず要するに浚渫は一時の弥縫策にして百年の大計に非(ママ)ること勿論なるを以て官民共に其根本的改善の方策につき研究の途上にあり又た市内を貫流する内川も近年著しく埋没して干潮時には殆ど舟楫の便を欠くに至りたるを以て本年度に於て大浚渫を行うべく已に調査設計を終りたるが該川は洪水氾濫の際紀之川の本流より土砂を流入するものなるが故に其分岐点に関門を設置して永久持続せしむるの方針なりと云う
一般都市に於て上水道設置の必要を認めると同一理由に於て和歌山市も亦其必要あること勿論なりと雖も然かも専門家の研究に由れば市の飲用井水質は比較的良好にして井数六千八百十二中試験の結果良水と断定せられたるもの四千百七十四、中水千百八十九、不良水千四百四十九と云える成績を示したるが故に市は寧ろ不完全極まれる下水道の改造を以て上水設備に先だつの急務となし四十三年度に於て専門技師を招聘実地の調査設計を委託し工費約七十万円の予算を以て下水道工事を完成すべく市会の協賛を経るに至れり此工事成るの後は更に上水道に着手すべきも現下の市財政に於ては下水道すらも由々しき大事業なるを以て愈々終了して上水道に入るの時期は到底予見する能わざる処なり
市の防疫事業には常設のものなく唯綿ネル工業熾盛のためペスト予防には十二分の注意を要し鼠族の買収は前年来継続して今日尚お之を行いつつあり汚物掃除は去三十三年より施行し日々十九人の人夫を出して塵埃汚物の蒐集搬出に当らしめ又毎年二回下水溝の大浚渫をも行うの方法を採る公園は市経営のものなく有名なる岡公園、和歌山公園何れも県の管理に属せるが和歌山公園は旧城廓を開放せしものにして今に至るも陸軍省の所轄なれば市は之が払下を乞いて其経営の下に移さんと目下計画中なり食品検査、市場、屠場、浴場、貸屋等は未だ市営に属するもの一もなく唯伝染病院内に於ては依頼者の申込に応じ蒸汽消毒を行うの設備あり又人口の増加に伴い市内墓地の埋葬は衛生上黙過すべからざる処なるを以て之が禁止令発布の機を市より殊に建議したるが愈々発令の上は市外に墓地を選定するの準備中にあり
市の勧業行政中農業に属するものは僅に四百戸内外の農家が接続郡村の耕地を耕作するに止まるを以て之が助長の方策として何等施設の見るべきものなし而して商工業の方面に於ても市が補助又は助成の方法を立てて特に奨励する事業あるを認めざるも然れども綿ネル工業は市の一大富源にして最近一箇年の産出高実に百十二万余反価格六百八十四万円に上りて工産物総価格の六割を占むるべく之に次ぐを綿糸となし此産出高四十万貫価格百十五六万円其他は悉く少量にして年額五十万円の上に出るものなし而して商工業の助長に資すべき電力供給事業は和歌山水力電気会社の経営にかかりて電灯需用数二万七百四個動力二百十五台九百二十五馬力を供給す又近く瓦斯(がす)事業の目論見ありて事業認可の出願中なれば近々事実として現わるべし
市の財政は四十四年度歳入十六万九千五百八円五十四銭九厘にして歳入の重なる市税の九万八千四百八十九円となし歳出に於ては教育費の七万四千八百八十三円、土木費の九千九百五十六円、衛生費の九千三百十三円等を主なるものとす市債は義務教育延長の結果校舎狭隘を告げたるより之が増築の為め去四十年に起したるもの八万八千八百六十円を有し三箇年間に分割償還を為すものなるが已に其過半は償還し得て市財政の近況は先は堅実なるものと見るべく唯今後下水道事業の為め起すべき七十万円の市債並に之が償還に就ては局に当るの士の慎重熟慮して決定すべき問題なるべし
自治制執行の時初めて市長の椅子に倚りしを長屋喜弥太氏と云い次で現市長加藤杲氏其後を襲えり加藤氏は陸軍中将茨木惟昭男の令弟にして早く和歌山県に出仕し二十二年市収入役に挙げられ次で県会議員に選まる二十三年市助役に当選県会議員を兼ねて三十年に至り同年長屋氏の退任を享けて市長に陞(のぼ)り三十六年再任四十二年度三度衆望に由り就任御裁可ありて今日に至る氏の和歌山市制を料理すること茲に二十余年専心一意其発展進歩を念じて敢て他を顧みざる処稀に見るの良市長と云べし助役を志賀楠之助氏と云い是又加藤氏と同じく二十余年来市行政に参じて或は書記たり或は会計係たり或は収入役たり所内の事務一として通ぜざる無く活字書を以て目せらる(完、次は丸亀市)

(原文は旧字旧かな。新字新かなに改める。)

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