『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』中西輝政(PHP新書)
2006年10月30日初版発行
254頁
目次(収録作品)
第1章 歪められた自画像
第2章 あの戦争をどう見るべきか
第3章 日本人にとっての天皇
第4章 日本文明とは何か
著者は政治学者。
わが国の戦後の歴史観に対する批判と皇室の貴重さを主に論じる。
悪くない本。著者の主張は、真っ当なものである。ただ、本書より渡部昇一や西尾幹二の著作を筆者はおすすめする。
(p.206~)
昭和天皇は、この意味での敗戦責任を大変重く受けとめておられました。三度にわたって退位の意を表されているのが、なによりの証です。
一回目は、敗戦直後の昭和二〇年八月二九日。昭和天皇は木戸幸一内大臣に、こう打診されています。「戦争責任者を連合軍に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところとなるが、自分一人引き受けて、退位でもして収める訳には行かないだろうか」(木戸日記研究会編『木戸幸一日記』)。木戸は即座に諌止しています。退位すると戦犯にされ、天皇という存在そのものが否定される恐れがある、と考えたためです。
二回目は、昭和二三年一一月一二月の東京裁判最終判決を控えた時期。昭和天皇は、この判決を期して退位する意向だった、と伝えられています。しかし今回は、マッカーサーの反対で思いとどまらされます。マッカーサーにとって昭和天皇は、占領統治を滞りなく遂行する上で欠くべからざる存在だったからです。
三回目は、講和条約調印を控えた昭和二六年に、翌年の条約発効後に退位されることを希望された、と伝えられます。独立国家への回復とともに敗戦責任をとり、立太子礼(昭和二七年一一月一〇日)がすみ次第退位する、と強く内閣に要望されたそうです。しかし、このときも、吉田茂首相が断固としてお断りしています。
こうして、昭和天皇は退位を諦め、在位のまま、黙して「敗戦責任」を背負う生き方を選ばれるわけです。
[筆者注]
(p.33)
「驚いたことに、アメリカ軍は殺さない、強姦しない、物を取らない。」
これは、ソ連軍の暴虐さとの対比の文脈で言っているのだが、誤解を招く記述。米兵(占領軍)も強姦や暴行等をわが国民に対して行っている。(著者は、当然そんなことはご存知だろうが、この書き方では誤解されてしまう。)
(p.98)
「二百数十万の戦死者を出し」
第2次世界大戦の日本の軍人・軍属の戦死者は、(諸説あるが)約240万人。民間人の死者を含めると約310万人だといわれる。
(Wikipedia)
(p.204)
「平成十六年に様々な波紋を呼んだ皇太子殿下のあのご発言」
いわゆる「人格否定発言」のこと。(Wikipedia)