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『細川日記』細川護貞(中公文庫)

『細川日記』(上下)細川護貞(中公文庫)

上巻

改版2002年
286頁

目次(収録作品)(※『情報天皇に達せず―細川日記(上)』の目次)

東條幕府時代
昭和十八年十一月二日―十二月二日
なぜみんな口を閉ざしてゐたか―中野正剛の死―ドイツの敗北は必至―共産主義は注意すべし―米国では短波ラヂオが売れる―武村教授の調査と見透し―矢部教授は政治と外交面から―酒井中将の報告
昭和十八年十二月四日―十二月二十八日
小畑中将の話―ロシヤ通の宮川船夫氏―女性の過労と流産、男性の結核―ヒューバイヤスの天皇批判―見てろ、キット負けるぞ―池田少将の文書
昭和十九年一月三日―二月十八日
ラバウルの放棄と陸海軍の対立―近衞通隆の軍隊生活―東条上等兵―水谷八重子の芝居―人間の智慧は何のためにあるのか―松岡外相対ソ開戦の必要を上奏―車裂きにするもなほ足らず―如何せん飛行機無し―倒閣談議起る―東久迩宮内閣を
敗戰一路
昭和十九年二月十九日―三月十八日
星・錨・顔・闇―東条が望むは道鏡の地位?―近衞公の辞表にみえる東条―政府待合を買切る―ドイツより先にまゐるか―後継内閣の構想と産業奉還―赤を白といへば国民はついてくる
昭和十九年逎月二十七日―五月三日
高松宮と東条との会見―パラオの敗報に海軍動揺―東条とヒットラーは世界の憎まれ者―我空軍は北海道にたゞ百機―テニスの選手が野球をしてゐる―古賀聯合艦隊司令長官戦死―下士官と憲兵、労働者をなぐる
昭和十九年五月七日―六月二十四日
木戸内府、戦況の悲観的なるを漸く知る―中国における日本人の不評―文化人、荻外荘に会談―東条・若槻重臣を怒鳴りつける―食糧事情の窮迫―欧州第二戦線開始―木戸侯、反東条的となる―天皇と皇道派―北九州に敵機来襲―神に念じて連合艦隊の出動―佐野学大本営に来る―連合艦隊敗れたか―東条の顔色この世の人ならず

下巻

改版2002年
534頁

(※『情報天皇に達せず―細川日記(下)』の目次)

空襲下の日本
昭和十九年六月二十六日―七月十八日
天皇とスターリンが平和を提唱しては―海軍省内の貼紙「東条・島田を殺せ!」―島田は依然として必勝の信念―東条の暗殺とクーデター計画―天皇東条に不信を洩らさる―東条内閣遂に倒る
昭和十九年七月十九日―十月二十四日
重臣会議と小磯内閣成立―東条留任を主張する―大谷句仏を殺したのも志方憲兵司令―御前会議で戦争継続―警視庁と憲兵割れる―満洲へ行幸?―平泉澄教授と青年将校―抗戦か即時和平か―空母十六、台湾を襲ふ―東条、阿片密売で十六億儲ける
昭和十九年十一月八日―二十年三月十九日
戦艦大和の沈沒―東京空襲ひんぴん―沖縄の軍規紊乱―小磯内閣も無策―天皇は防空壕生活―姥ケ谷の西田幾太郎博士―山本有三・和辻・谷川・安倍・志賀・田中―「内外の状勢は共産革命へ」と上奏―「おまへらのためにかうなつた」と罹災者はいふ
来るものは来た
昭和二十年三月三十日―六月二十一日
師団長は自動車に肉鳥野菜を満載―小磯首相辞表奉呈―鈴木新首相就任―ムッソリーニもヒットラーも死ぬ―ドイツ全面降伏―吉田茂等憲兵につかまる―老幼者と病人は皆殺せ―陛下終戦につき苦慮し給ふ
昭和二十年七月三日―八月十五日
「旧来の観念に捉はるゝな」と勅語―近衞はロシヤに行つてもらふか、との勅諚―英米支三国の対日声明来たる―広島に恐ろしき新型爆弾―空しく待つソ聯からの回答―ソ聯の背信―ボ宣言受諾の用意できあがる
昭和二十年八月十六日―十二月三十一日
東久迩内閣と近衞兵の騷乱―戦後の混乱―重光・梅津・ミゾリー艦上に調印―マックアーサー黒竜会をにらむ―全く此の事実なし―久しぶりの共産党大会―佐々木博士の憲法改正案―社会主義的な動き―近衞公の自決

昭和十八年十一月、近衛文磨の意向を受けた著者は、天皇に国情の実際をしらせるべく、高松宮に各種情報を報告する任務につく。重臣間の確執、クーデター計画、小磯内閣成立へ、生々しい迫力をもって伝える詳細な日記。

戦争終結につき苦慮する指導者たち、敗戦、東久迩内閣の成立、近衛文磨の自殺―昭和二十一年十月十七日まで綴られた日記は、ゆれにゆれる日本の中枢の動きを余すところなく記録する。はたして情報は天皇に達したのか。

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