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『道元「宝慶記」全訳注』(講談社学術文庫)

『道元「宝慶記」全訳注』道元、大谷哲夫訳(講談社学術文庫)

2017年
384頁




目次(収録作品)

1 如浄禅師に随時参問を懇願する
2 教外別伝の真意とは何か
3 思慮分別を無視した払拳棒喝は正しいか
4 冷暖を自ら知ることは正覚か
5 初心修行者の心得とは何か
6 『楞厳経』と『円覚経』は仏祖道か
7 三障(煩悩障・異熟障・業障等)は仏祖の説か
8 因果の道理をどのように信ずべきか
9 長髪や長爪は僧侶の風儀か
10 汝古貌あり、深山幽谷に居し、仏祖の聖胎を長養すべし
11 裙袴の腰〓の結びかたについて
12 緩歩の仕方について
13 ものの本質は三性(善性・悪性・無記性)に関わるか
14 仏祖の大道をなぜ禅宗と呼ぶのか
15 参禅は身心脱落である
16 三時業(順現報受業・順次生受業・順後次受業)の道理とは何か
17 『了義経』とはどのような経か
18 感応道交とはどのようなことか
19 仏祖の道と教家の談は別のものか
20 文殊と阿難の結集の違いは何か
21 椅子の上で襪子を著ける方法について
22 坐禅の時、胡菰を食べてはならない
23 坐禅は風の当たるところでしてはならない
24 一息半趺の経行の方法について
25 褊衫と直〓について
26 華美な袈裟を著けない理由について
27 迦葉尊者が金襴の袈裟を伝授されたのはいつか
28 禅院こそが正法を正伝していると思うが如何か
29 只管打坐こそが六蓋を除く
30 華美な法衣を著けないのはなぜか
31 仏祖の身心脱落は柔軟心である
32 法堂の師子像と蓮華蓋について
33 「風鈴頌」について
34 全ての衆生は諸仏の子
35 坐禅時の調身法について
36 坐禅を難ずることへの対処について
37 坐禅は頭燃を救って弁道すべし
38 坐禅は帰家穏坐、今年六十五歳
39 坐禅は正身端坐すべし
40 坐禅時の経行の方法について
41 坐禅時の経行は釈尊の聖跡を敬い行うべし
42 坐禅時、心を左の掌に置くのが仏祖正伝の法である
43 正伝の仏法を託するのは、まさに汝である
44 初心後心の得道も仏祖正伝の宗旨である

『宝慶記』は、若き道元禅師(1200~1253)が仏道を究めんと南宋に渡り、燃えたぎるような情熱をほとばらせて、正師たる長翁如浄禅師(1162~1227)に拝問(古徳先哲に対して言葉や文章をもって丁重に質問すること)した求道の記録です。それはまた、道元の問いに真摯に答えた如浄という老古仏が、正伝の仏法である只管打坐の世界を道元に嗣続せしめんとした、まことに慈悲深い慈誨の記録でもあります。
道元は、南宋の宝慶元年(1225)5月1日から同三年(1227)の、おそらくは7月上旬、日本に帰国するために如浄の下を乞暇(禅林を下山するために暇を乞うこと)するまでの間、天童山の方丈で如浄に拝問したところと、それに対する師の慈誨とを、その都度記録しました。いわば、『宝慶記』は、道元が如浄に随身した「随聞記」であり、日中の枠を超越した師弟の問答が、阿吽の呼吸の中に展開されているのです。
対話という性格上、『宝慶記』には道元の肉声がより強く響きわたっています。修行とはなにか、仏法とはなにかについて具体的な内容となっています。古来、中国に渡った日本僧たちの記録は多くありますが、真実の仏法を求め、これほど師と弟子の間で目の当たりに相対して(これを面授といいます)真剣に交わされた記録はありません。道元の数ある著作のなかで、われわれ凡夫にとってもっとも親しみやすいのが本書です。大谷氏の精緻な訳注で、八百年の時空を超え禅の奥義が伝わってきます。

出典:講談社BOOK俱楽部

[関連]
『道元禅師全集 第16巻 宝慶記・正法眼蔵随聞記 原文対照現代語訳』鏡島元隆:監修、伊藤秀憲・東隆眞訳注(2003・春秋社)
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