2003年
434頁
目次(収録作品)
なぜ今、リベラリズムなのか――まえがきにかえて
第一部 責任の社会理論 responsibility socialized
第一章 コミュニケーションのなかの責任と道徳
一 問題としての「コミュニケーション的行為の理論」――ハーバーマス理論の再検討
二 行為の同一性と責任――構成主義の行為理論
第二章 構成主義的責任論とその限界
一 行為の責任・再考――構成主義的に「責任」を考える
二 ラディカルな責任のスタイル――ポストモダン政治学との対話
三 転回――強い責任理論は規範理論たりうるのか
第二部 社会的なるものへの懐疑 skepticism on the social
第三章 Why be social?――私たちはなぜ責任をとる「べき」なのか?
一 事実/価値の二元論は失効したのか
二 存在/当為の「脱構築」を拒むもの
三 社会(科)学は倫理を語りうるか
第四章 How to be (come) social?――ささやかなリベラルたちの生
一 ギュゲスの指輪は存在しない?
二 《制度の他者》から《規範の他者》へ
三 《規範の他者》から《リベラル》へ
第三部 リベラリズムとその外部 liberalism and its others
第五章 《リベラル》たちの社会と《自由主義》のあいだ
一 《リベラル》たちのプロフィール――《自由主義者》との種差
二 「自由主義」の条件――《リベラル》が《自由主義者》となるためには何が必要か
三 「自由主義」を担保する《暴力》
四 「自由主義」国家の不可能性?
第六章 可能なるリベラリズムのために――リベラリズムとその外部
一 リベラリズムのプロフィール――薄いがゆえに濃い
二 リベラリズムは外部とどのような関係を持つのか
第四部 「社会的なるもの」の回帰 the return of the social
第七章 正義の居場所――社会の自由主義
一 システム論によるリベラリズムの再定位――コミュニケーションとしての正義
二 正義の居場所
注
現実(主義)から遠く離れて──あとがきにかえて
主体の従属化、マイノリティの排除などを内包するリベラリズムとその中心概念(「自由」、「平等」、「権利」)は社会学的にいかがわしさが確証されつつある。しかし、リベラリズムへの懐疑が常識化するなかで見失われかねない問題がいまだ残されている。その《「社会的なるもの」の肥大と相俟った「政治的なるもの」の盲点化》という問題のなかで、政治(学)的な諸言語を豊穣化していくこと、つまりポスト・リベラリズム時代に可能なリベラリズムを探求することが重要なのだ。
出典:勁草書房公式サイト