『「現人神」「国家神道」という幻想―「絶対神」を呼び出したのは誰か』新田均(神社新報社)
改訂版2014年
314頁
目次(収録作品)
第1部 「現人神」という幻想
第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊
第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで
第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで
第4章 第一次世界大戦から満州事変のころまで
第5章 満州事変以降
第6章 「創られた伝統」としての「現人神」
第2部 「国家神道」という幻想
第1章 「国家神道」は如何にして創られたか―「幻想」の系譜をたどる
第2章 神社参拝は「法的」に強制されたか?
第3章 強制された「事実」とは?
第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか
第5章 「幻想」を必要としているのは誰か
第6章 蜃気楼が消えた後には?
「現人神」「国家神道」――これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。
だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。
“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。
出典:PHP INTERFACE
[関連]
『「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。』新田均(2003・PHP研究所)
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