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『新訳 茶の本』岡倉天心(角川ソフィア文庫)

『新訳 茶の本』岡倉天心、大久保喬樹訳(角川ソフィア文庫)

2005年1月25日初版発行
271頁




目次(収録作品)

まえがき──『茶の本』の新訳にあたって
第一章 茶碗にあふれる人間性
第二章 茶の流派
第三章 道教と禅
第四章 茶室
第五章 芸術鑑賞
第六章 花
第七章 茶人たち

東洋の理想
序章 理想の広がり
終章 展望

エピソードと証言でたどる天心の生涯

著者は、美術指導者・思想家ほか。(1863-1913)

本書は、明治期に英文で書かれたわが国の思想や精神などを解説した有名な3書のひとつ(他2書は、『武士道』『代表的日本人』)。

『茶の本』の全訳、『東洋の理想』の序章と終章、それから訳者による評伝を所収。
書名の通り、茶道について論じているが、それだけではなく、道教や禅、芸術論についても多く述べている。
岩波文庫版が有名だが、本書訳の方がよい。訳文も分かりやすいし、分かりにくい箇所には補足がされている。また、所収の評伝は、すぐれる。これだけ読んでもよいかも。
訳文の比較を一部引用しておく。

岩波文庫(村岡博訳)

 道教徒はいう、「無始」の始めにおいて「心」と「物」が決死の争闘をした。ついに大日輪黄帝(こうてい)は闇やみと地の邪神祝融(しゅくゆう)に打ち勝った。その巨人は死苦のあまり頭を天涯(てんがい)に打ちつけ、硬玉の青天を粉砕した。星はその場所を失い、月は夜の寂寞(せきばく)たる天空をあてもなくさまようた。失望のあまり黄帝は、遠く広く天の修理者を求めた。捜し求めたかいはあって東方の海から女媧(じょか)という女皇、角つのをいただき竜尾(りゅうび)をそなえ、火の甲冑(かっちゅう)をまとって燦然(さんぜん)たる姿で現われた。その神は不思議な大釜(おおがま)に五色の虹を焼き出し、シナの天を建て直した。しかしながら、また女媧は蒼天(そうてん)にある二個の小隙(しょうげき)を埋めることを忘れたと言われている。かくのごとくして愛の二元論が始まった。すなわち二個の霊は空間を流転してとどまることを知らず、ついに合して始めて完全な宇宙をなす。人はおのおの希望と平和の天空を新たに建て直さなければならぬ。
 現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇(やみ)に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。われわれは大権化(だいごんげ)の出現を待つ。

本書(大久保喬樹訳)p.30-p.31

 道教徒はこんな風に言い伝えている。そもそも「無始」の大いなる始まりにあたって、精神と物質が死に物狂いで争った。ついには、天の息子である黄帝(こうてい)が、闇と大地の魔神である祝融(しゅくゆう)に打ち勝った。破れた巨人は、断末魔の苦しみにもだえて頭を天涯(てんがい)に打ちつけ、それで、青の硬玉でできていた丸天井(ドーム)は粉々に砕け散ってしまった。星たちは棲み家を失い、月は荒れ果てた夜の裂け目をあてどなくさまよった。絶望した黄帝はなんとか天を修復してくれる者を見つけたいと、はるか遠くまで探し歩いた。この探索が実り、東の海の果てから女帝、聖なる女媧(じょか)が、角を冠にかざし、龍の尾、炎の鎧(よろい)といういでたちであらわれると、魔法の大釜で五色の虹を溶かし、中国の天空を作りなおした。ところが、その時、女媧は、青天井のうち二ヵ所だけ小さな裂け目を埋め忘れてしまったというのである。
 ここから愛の二元性というものが始まったのだ。裂け目からさ迷い出た二つの魂は、いつか一緒になって宇宙を完成することができるまで、果てしない空間を休むことなくさまよい歩くことになったのである。誰もが、おのおのの希望と平和の天空を再建しなければならないのだ。
 現代世界において、人類の天空は、富と権力を求める巨大な闘争によって粉々にされてしまっている。世界は利己主義と下劣さの暗闇を手探りしている有り様だ。知識は邪心によって買い求められ、善行も効用を計算してなされるのである。東と西は、荒れ狂う大海に投げ込まれた二匹の龍のように、人間性の宝を取り戻そうとむなしくもがいている。再び女媧があらわれてこのすさまじく荒廃した世界を修理してくれることが必要だ。偉大なアヴァター(この世にあらわれる神の化身)が待ち望まれるのである。

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