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『古事記の読み方』渡部昇一(ワック)

『古事記の読み方』渡部昇一(ワック)新書

2019年
254頁




著者は、英語学者、評論家。(1930-2017)
本書は、雑誌『正論』の連載が初出で、それをまとめた『神話からの贈物』(1976・文藝春秋)の復刊。
改題され何度も復刊されている。
 日本神話からの贈り物(1976・PHP研究所)
 日本神話からの贈り物(1995・PHP文庫)
 古事記と日本人(2004・祥伝社)
 渡部昇一の古事記(2012・ワック)

筆者は古事記についてある程度学問的に考察しているのかと思って手に取ったが、違っていた。本書は、ほぼエッセーで、おもに男(夫)や女(妻)や家庭などについて意見を述べている。(なので、書名は名が体を表していない感あり)
日本神話とゲルマン神話の類似性を論じる部分(p.139)などは、筆者が期待していたもので興味深い。

この当時の言論界は、いわゆる左翼(進歩的文化人)が跋扈していたと想像するが、その中での著者の奮闘がうかがえる。読者はその点を踏まえて理解する必要がある。

(p.156)

日本では敗戦前には古代史を扱うことがタブーに触れやすかったため、それが解禁されたとたんに、一挙に記紀の歴史的価値を一切否定したがるようになった気持ちはよくわかる。しかし「権力の座についた天皇家がその政権を正当化するために記紀を捏造させた」というのは、あまりにも二十世紀のソ連的発想法である。第一、ソ連は現政権に都合の悪いシュリアプニコフを抹殺したが、記紀のほうには、天皇家に都合の悪そうな話もずいぶんたくさん書いてあるのである。こんな率直な捏造があるだろうか。

(p.194)

(略)「武」は元来嫌悪すべきものでなく、むしろ「文」を可能にする前提のようなものである。しかしこの前の戦争の被害があまりにも大きかったことや、アメリカの占領政策や、その後のイデオロギー的問題によって、「武」はとりもなおさず「悪」と規定する風潮が強い。特に学校においてそれが甚だしい。学童は与謝野晶子の名前を知っていても東郷平八郎の名前を知る者は少なく、日露戦争で連戦連勝の奇蹟的武勲を立てた第一軍の司令官黒木為楨の名前を知る子供は、皆無と言ってもよいであろう。
こんな具合であるから、古代日本における代表的武人であった日本武尊(『古事記』表記では倭建命)がすっかり忘れられているのも少しも不思議はない。現代の歴史家たちは、その時代のことを「神話」として一切扱うまいと決心しているかのごとくであって、あんなに立派な御陵の残っている景行天皇も、その子の日本武尊も、年表に載せてもらえないのである。

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