過去のヨーロッパ中心の世界では、東アジアとは即ち極東だった。そして極東は、異国情緒あふれる中国と龍のイメージ、お茶、阿片、高級シルク、風変わりな習慣をもった珍しい人々など、奇妙で神秘的な印象を思い起こさせる場所だった。
いまや極東は東アジアになり、気の毒だがヨーロッパのロマンチストの興味の対象は減った。その代わりに政治家とエコノミストの関心の的になっている。
ヨーロッパがアジアに対して懸念を抱いている事実は、この地域が、すでに今世紀前半の日本軍国主義以上に深刻な脅威になっていることを示唆している。こうした見方の底流には、不信感と恐怖がある。その理由は、東アジアの人々が自分たちとは異なっている、つまりヨーロッパ人ではないという点にある。
そのため、第二次大戦後の枢軸国であったヨーロッパのドイツとイタリアが平和国家となって復興、繁栄するのは応援、歓迎されたのに、同じように平和国家となった日本と「極東の小さな日本」の経済発展はあまり歓迎されないように見える。
それどころか、ヨーロッパとヨーロッパ社会を移植したアメリカはともに、様々な手段を使って東アジア諸国の成長を抑え込もうとしてきた。西側の民主主義モデルの押し付けにとどまらず、あからさまに東アジア諸国の経済の競争力を削ごうとしてきた。
これは不幸なことである。東アジアの開発アプローチから、世界は多くのことを学んできた。日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術力とエネルギーを貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品であったものを誰でも利用できるようにしたのは、日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡ともいえる成果を創り出したのだ。
日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押し付けられていただろう。
自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、コスト上昇分価格引き上げで、賄おうとする可能性が高い。社会主義と平等主義の考えに基づいて、労働組合が妥当だと考える賃金を、いくらでも支払うだろう。ヨーロッパ人は労働側の要求をすべて認め、その結果、経営側の妥当な要求は無視される。仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。貧しい南側諸国から輸出される原材料品の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準が固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。
通商条件は、常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はますます貧しくなり、独立性はいっそう失われていく。さらに厳しい融資条件を課せられて〈債務奴隷〉の状態に陥る。
北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の3倍にもなるため、貧しい南側諸国はテレビやラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。
南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかったであろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるを得なくなったからに他ならない。
日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。
また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。
東アジアでは、高度な産業は無理だった。せいぜい質の劣る模造品を作るのが関の山だった。したがって西側が懸念するような「虎」も「龍」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業地域(NIES)も存在しなかっただろう。
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国では、あえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成長を遂げた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していただろう、富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、錫を掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。
このシナリオには、異論もあるかもしれない。だが、十分ありうる話である。日本がヨーロッパとアメリカに投資せず、資金をすべて国内に保有していたらどうなるかを想像すれば、その結果は公平なものになるのではないだろうか。ヨーロッパ人は、自国産の製品に高い価格を払わねばならず、高級なライフスタイルを送る余裕がなくなるだろう。(中略)
実のところ、ヨーロッパ人は、身分不相応に暮らしている。ヨーロッパ人は、仕事量が非常に少ないにもかかわらず、あまりにも多額の賃金を受け取っている。ヨーロッパは世界の国々が、この浪費を支持してくれると期待することなどできない。ヨーロッパ諸国は、国民のために高い生活水準とより健康的な環境を求めているが、犠牲を払おうとはしない。
「ヨーロッパは、もっと低い生活水準を受け入れ、環境を維持すべきだ」と提案されたとき、ヨーロッパ諸国は激しい不快感を示した。だが、ヨーロッパは、北側諸国の環境維持に必要だという理由で、貧しい国々に国内の天然資源を開発しないように求めている。それは要するに、「貧困国は富裕国のために犠牲になれ」ということである。しかし、豊かな国々は、何の犠牲も払おうとしない。
アジア諸国が「ルックウェスト」で欧米に指導やモデルを仰いだ時期があった。いまやヨーロッパが逆に「ルックイースト」で、逆にアジアにそれらを求める時期が来ているのかもしれない。
皆さんが私を、東アジア人とみなすか、東南アジア人とみなすかはわからない。どちらであれ、私は自分の見解が「私は東南アジア人であるだけでなく、発展途上国の出身でもある」という事実に影響を受けていることを認めなければならない。
マレーシアは、ある野心を抱いている。私たちは、いつの日か先進国になりたいと考えており、不必要に妨害されて不満を感じている。私たちは自由貿易と公正競争の妥当性を信じている。
ASEANの経験によって、友好的な競争と互いに学び合おうという意志があれば、経済成長を促進することができるとわかった。東アジア諸国が競争しながら学ぼうという意志をもっていれば、同じ結果を達成できるだろう。ヨーロッパ~東アジア間の公正競争と協力を発展させれば、すべての国々が繁栄するうえで役立つだろう。
たとえヨーロッパやアメリカが保護主義を採用しても、東アジアは保護主義に頼らないだろう。東アジアには競争力があり、そのことをはっきりと証明している。
たとえば1960年には、東アジア全体のGDPはECの42%、アメリカの23%、NAFTAの21%だった。1990年にはそれがECの67%、西ヨーロッパの47%、アメリカの73%、HAFTAの64%に達した。
東アジアの域内貿易も、絶対額と世界貿易に占める割合の両方で成長している。東アジアは、保護主義に頼ることなく、しかも多くの障害をものともせず、これを達成したのである。
その過程で東アジア諸国は、自国民だけでなく世界中の貧困者の生活の質を高めた。東アジア諸国の成功は、魔法のおかげではない。日本が成し遂げたことを東アジアの他の国々も程度の差こそあれ達成することができたのである。同様に、ヨーロッパもそうすることができる。
この成功の主な要因は、高い生活水準を維持する余裕のない時期には低い生活水準を受け入れようとする意志である。東アジア諸国は進んでそうしている。無理して高い生活水準を維持すれば、競争力を失ってしまう。
むしろヨーロッパ人のほうが、自分たちのやり方が賢明なものかどうか自問し、現実を受け入れなければならない。そうすれば、ヨーロッパと東アジアは相互の利益のために協力することができる。
ただし、どのような事情があっても、東アジアの成長を止めることはできない。東アジアには、発展する権利があるのだ。
(欧州・東アジア経済フォーラム1992年10月14日IN香港)