2013年11月30日初版発行
171頁
目次(収録作品)
現代語訳 竹取物語
「竹取物語」解説
※「竹取物語」は『川端康成全集第35巻』(1983・新潮社)、「解説」は同全集『第32巻」が底本。
書名どおり『竹取物語』を現代語訳した本。長い解説が付いている。
日本語としてこなれてはいるが、あまりいい訳ではない。会話の訳もいまひとつの部分が散見されるし、原文のよさがいきていない部分もある。原文が付いていないのもマイナスポイント。
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫)か、筆者の私訳をおすすめする。
解説(p.104~p.168)は、物語をなぞって解説していて冗長である。全訳を読んでからこれを読むのは、重複も多いし無駄が多い。ただ、よいことも言っている。
『竹取物語』は、単に滑稽を描いた物語や児童文学ではなく「もっと深いなにものかがある」「立派な小説」(p.109)である。
「手法から云っても、文章から云っても堂々たる創作である。かぐや姫が竹からうまれたとか(略)そういう外面上の不自然を踏みにじって、尚且つ内面のリアリティを建てている堂々たる創作である」(p.118)
「(略)竹取の作者が、決して単なる滑稽物語や童話の作者ではなく、より以上深く人間を見た、殆んど古代作者としては信じられない位の深さと辛辣さを持った作者であることがわかる。」(p.133)
などは、まったくその通りだと筆者も賛同する。『竹取物語』は、おそらく現存する世界最古の(近代的)小説だろうと筆者は思っている。
気になった点。
(p.87)
「註 前に、翁の年を七十ばかりと書き、今また、それから長い間経っているのに、翁の年を五十とは奇怪だが、これは作者の気附かざる不用意の誤りである。」
と断定しているが、前に七十とある箇所は、翁がかぐや姫に結婚するよう説得する会話の場面で、説得のために誇張している(嘘をついている)等も考えられ筆者は、誤りとは断定できないと思う。
龍の首の珠をとりに行った大伴大納言が風邪にかかったとしている(p.55,p138)が、どうか。
「大納言は重い「風」にかかったと原文にはあるが、今の風邪とは違い、神経性の病気だといわれる。」
(『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫)p.128)
大伴大納言が、かぐや姫を「大盗人」と悪く言うところ(p.56)があるが、これは注しないと分からないだろう。
(当時の罵倒語で「大悪党」の(ような)意)
大伴大納言の章について。
(p.138)
「この章には一種剛健な気風が漂うている。(略)サッパリとした諦めのいい、ちょっと勇壮な人物が描かれている。(略)この人は剛健そのものみたようなものである。」
とある。作品をひとがどう感じるかは自由だが、これは解説としては不適当だろう。家来が大納言をバカにしている描写からも明らかで、この章は訳者のいうような感じではなく、大納言が道化を演じる滑稽味あふれる章である。
[参考]
筆者も『竹取物語』を訳しています。当サイトの支援も兼ねてご購入頂けると幸甚でございます。
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