2006年11月10日初版発行
394頁
目次(収録作品)()内は初出。
第1部 論文
反革命宣言(戦争ジャーナル 昭和44年2月号)
文化防衛論(中央公論 昭和43年7月号)
『道義的革命』の論理ー磯部一等主計の遺稿について(中央公論 昭和43年10月号)
自由と権力の状況(自由 昭和43年11月号)
第2部 対談
政治行為の象徴性について いいだ・もも/三島由紀夫(文学界 昭和44年2月号)
第3部 学生とのティーチ・イン テーマ・『国家革新の原理』
一橋大学 昭和43年6月16日
早稲田大学 昭和43年10月3日
茨城大学 昭和43年11月16日
果たし得ていない約束―私の中の二十五年(サンケイ新聞夕刊 昭和45年7月7日)
本書は、『文化防衛論』三島由紀夫(1969・新潮社)を文庫化し、新たに「果たし得ていない約束」を収録したもの。
「反革命宣言」(p.10)
われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代弁者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる。
かっこいい言葉であり、傾聴すべき言葉。しかし、われわれではなく、「わたしは」だろう。三島は自分だけが最後のこの精華であると思っていたと思う。
「日本語を知っている人間は、おれのゼネレーションでおしまいだろうと思うんです。日本の古典のことばが体に入っている人間というのは、もうこれからは出てこないでしょうね。」(『決定版 三島由紀夫全集40、「三島由紀夫 最後の言葉」p.779)
[]内は引用者。
「反革命宣言」(p.25)
まだ国際政治を支配しているのは、姑息な力の法則であって、その法則の上では力を否定するものは、最終的にみずから国家を否定するほかはないのである。平和勢力と称されるものは、日本の国家観の曖昧模糊たる自信喪失をねらって、日本自身の国家否定と、暴力否定とを次第次第につなげようと意図している。そこで最終的に彼ら[社会主義、共産主義]が意図するものは、国家としての日本の崩壊と、無力化と、そこに浸透して共産政権を樹立することにほかならない。
非常に真っ当な見識。いまも彼らは「日本の国家観の曖昧模糊たる自信喪失をねらって……国家としての日本の崩壊と、無力化」を図ろうとしている。当時このように冷静に分析できていた人は稀だろう。また、当時の時代状況として発言できた人も。
「文化防衛論」については著者自身が要約している箇所があるので引用する。
(p.224)
今のような民主主義政体、議会主義は守らなきゃいかん。なぜなら、それは言論の自由を保障するからである。しかし言論の自由を保障するだけでは足りないので、我々の伝統と我々の歴史の連続性を保障するものでなければならん。そのためには天皇制が今のままであっては困るので、政治概念としてでなく、歴史的な古い文化概念としての天皇が復活しなければいかん。ですから天皇を憲法改正で元首にするとかしないとかいう問題ではなくて、天皇の権限よりも、天皇というものを一種の文化、国民の文化共同体の中心として据えるような政治形態にならなきゃならん。そのためには今は栄誉大権の復活が一番大事である。栄誉大権は単に文化勲章や一般の文官の勲章のみでなく、軍事的栄誉として自衛隊を国が認めて、天皇が直接に自衛隊を総攬するような体制ができなくちゃいかん。それがないと、日本の民主主義は真に土着的な民主主義にはなり得ない。
だいたいの部分は理解も賛同もできるのだが、「文化防衛論」にも、天皇を「国民の文化共同体の中心として据えるような政治形態」を具体的に論じてないので、そこが筆者にはよくわからなかった。また、天皇と軍隊を結び付けねばならぬ、と主張しているが、この部分は説明がなく分からない。
「『道義的革命』の論理ー磯部一等主計の遺稿について」は、副題の通り二・二六事件を指導して刑死した磯部浅一(いそべ・あさいち)の遺稿についての文章。
「自由と権力の状況」は、チェコ事件(プラハの春)を考察し自由、人間性、社会主義等について論じたもの。
対談は、相手の、いいだ・ももがひどい。思想的に大人と反抗期の子供との対話のようだ。誠実さが揺らがない三島はさすがである。
「ティーチ・イン」は、興味深く、三島が本書やほかの所で主張している事が、話し言葉で分かりやすく説明されているので理解の助けになる所が何ヶ所もあった。
「果たし得ていない約束」は、非常によく引用される名文である。短いがこれを読むだけでも本書は価値がある。
論文は文章が読みにくい所があるが、おすすめの本。「ティーチ・イン」と「果たし得ていない約束」だけ読んでも十分有益な本である。考えるヒントとしてもよい。
ところで、ティーチ・インは、速記記録を起こしたものらしいが、省略と「書きかえられた」とみられる部分があるのが気になった。筆者は下記のCDも確認したが、これも講演全てではなく、本書にあってCDにない部分もあり、また、CDにはあるが本書にはない部分もある。
録音は、筆者の知る限り下記の早稲田大学のティーチ・インしかないようだが、他大学の本書収録のものにも省略等があるかもしれない。
筆者が削るべきでないと思った箇所をここに記す。
早稲田大学 ティーチ・イン
(p.232)下線部が本書では省略の部分。
(冒頭)
只今、司会者が文壇の第一人者とか体裁のいいことを言ってくれたんですけれども、裏は決してそういう実情ではありません。私が仄聞したところでは、司会者側が「文壇の狂人来たる」というビラを書いたそうですが……
内容としては大して重要ではないが、ここは三島の「つかみ」の部分であってここで会場は沸く。文章ではわからないが、この講演は何度も会場がわく、熱気に溢れかつ和やかなものである。ここは省略しない方がよい。
(p.253)
本書「学生C 三島先生はかつて、金閣寺をやいたりするような、既成の社会に反逆するといった人間を作品の中に描いたわけで、その作品の奥に先生の出発点があるとしたら、謂わばぼく達の内なる“親殺し”のような存在であったと思います。」
この箇所の音源の部分はこうなっている。
「三島先生の作品の中で、天皇殺し、それから金閣寺焼かれたり、いろいろ華々しい殺人テクニックをやってこられたんですけど……」
この音源の質問は鋭く重要な点に触れたものとなっている。すなわち「天皇殺し」という箇所。本書にここがないのはなぜだろうか。なにかに配慮し書きかえたのだろうか。ただ、この学生の質問はここに触れはしたが、違うことを質問しているので、三島はこの点に答えていない。残念である。
(p.268)下線部が本書では省略の部分。
石原慎太郎がボディビルに対して男性美容でスポーツではないと否定的な発言をしていた。
三島は、八田一朗というボディビル協会の会長に「あんた参議院で先輩だから、石原君のところへ行って、ボディビルの悪口をやめろと言ってくれ」と頼んだところ、八田は秘書に石原のところへそのことを言いに行かせた。
「あのう、三島由紀夫が、あんたがボディビルの悪口言うのやめてくれと言ってます」(略)慎太郎がたちまち「ボディビルの筋肉なんて死んだ筋肉だ、帰れ」と言ったそうです。あいつも相当なこと言うもんで、まあ、自分に劣等感があるからでしょう。私はすべて筋肉をつくることによって社会と戦っていく。
ここも会場が沸いた箇所で、話の落ちになっている部分である。ここを省略したらこのエピソードを三島が語る意味がないだろう。
追記
全集を確認したのでメモ。(『決定版 三島由紀夫全集40』(新潮社))
上述、早稲田大学 ティーチ・イン(p.232)は、省略されていない。(p.253)は、全集でも見当たらない。(p.268)は、本書と同じく省略されていた。
[筆者注]
(p.62)「レフュジー」(refugee)難民。亡命者。亡命者。逃亡者。
(p.69)「ポレミッシュ」(独:polemisch)論争的な。攻撃的な。
(p.85)「スタビリティー」(stability)安定性。
(p.91)「コンフィデンシャル」(confidential)機密の。秘密の。
(p.111)「トラーギッシュ・イロニー」悲劇的な皮肉
(p.158)「ABM」(anti-ballistic missile)弾道弾迎撃ミサイル。
(p.164)「セルフ・ピティ」(self‐pity)自己憐憫。
(p.164)「フリュイド」(fluid)流動的な。変わりやすい。
(p.164)「アンフォルメル」不定形なもの。非定形なもの。
(p.173)三無事件(Wikipedia)
(p.190)「セツルド・ダウン」(おそらく(settled down))settle down 腰を落ち着ける。静かにさせる。おとなしくさせる。
(p.203)「プラクティカル」(practical)実際的な。実践的な。(事を処するのに)現実的な。
(p.205)「中央公論事件」嶋中事件。風流夢譚(Wikipedia)
(p.249)「リアクト」(react)反応する。作用しあう。
(p.305)「アカデミッシュ・フライハイト」(独)「学問の自由」
(p.306)「ゲバルト」「暴力」を意味するドイツ語。日本の学生運動で、暴力的手段をもってする闘争をいう。
(p.326)「ディヒカル」「ティピカル」(典型的な)の誤植のようだ。
(p.369)「バチルス」細菌。社会などに害をなすもののたとえ。
[関連]
『学生との対話』[CD]三島由紀夫(2002・新潮社)(本書収録の早稲田大学でのティーチ・イン(講演)を収める。三島の声は比較的明瞭なのだが、質問する学生の音声は録音が悪く非常に聞き取りづらい)