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「デンマルク人、ホルジャー」新美南吉

 デンマルクにクロンボーグとゆう古い城があります。その城はエルシノア海峡の近くに建っています。エルシノアの海には、毎日イギリス、ロシヤ、ペルシャなどの大きな船が浮んでいるのがよく見えます。そして、その船は城のそばを通るときに大砲で城に挨拶をします。
「ドーン!」
 すると城の方でも大砲で返事をします。
「ドーン!」
 それはちょうど、「今日は」「いいお天気です」と挨拶を仕合うのと同じです。
 冬になると一艘も船は見えません。それは、エルシノア海峡に氷が張ってデンマルクからスエーデンまで大変広い道をつくるからです。デンマルク人はデンマルクの旗、スエーデン人はスエーデンの旗を頭の上に、ひらひらさせながら彼らは氷の上をあちらに行ったり、こちらへ来たりします。そして、行き合う度に「今日は」「いいお天気です」と言い合います、親しい友達のように手を握りあって。彼らはお互いに小麦パンと小麦のビスケットを売ったり買ったりします。知らない国のパンは、いいように思えるものだから。
 古いクロンボーグの城は今でも大変美しいですよ。
 クロンボーグの下の方の大きい暗い洞穴(ほらあな)の中にホルジャーが座っています。そこへは誰も行くことができません。ホルジャーは鉄の着物を着ています。頭を強そうな腕で抱えています。長いあご髭は滑石(なめいし)のテーブルの上に垂れています。ちょうどテーブルに引っ付いてしまっているようです。彼はそこで眠っているのです。夢を見ているのです。夢の中で、デンマルクの国に起る出来事はみんな見ています。クリスマスの前の夜には、いつも神様の使いがホルジャーのところへやってきます。そしてホルジャーに、
「貴方の見た夢は皆(みな)、本当です。それから、デンマルクは安全ですから貴方はこれからも眠っていてもよいでしょう」
と告げるのです。しかし、もしデンマルクに危険があるような時には、ホルジャーは起き上がるでしょう。あご髭を滑石のテーブルから引き離すときには、テーブルは二つに割れてしまうでしょう。それから、彼は洞穴から出てきて、デンマルクの敵と立派に戦うでしょう。そしたら彼の名前は世界中の国々に響き渡るでしょう。
 こんな話をある晩、年取ったおじいさんが小(ち)さい孫に話して聞かせました。孫の少年はおじいさんの話は皆本当であると思いました。
 このおじいさんは船の舳先(へさき)に彫り物をする彫刻師でありました。彼は小さい孫に話を聞かせながら、木でホルジャーの姿を彫っていました。そのホルジャーは長いあご髭があって片方の手には幅の広い刀を持っていて、誇らかに立っていました。
 おじいさんは、尚(なお)デンマルクで昔から名高い人々の話をたくさん少年に話しました。だから到頭少年はおじいさんはホルジャーほど沢山の話を知ってるんだな、と思いました。
 少年は床についてからもおじいさんから聞いた話のことを考えていました。頬っぺたを布団に擦りつけて自分のあごにもあご髭が生えたことを考えていたのでした。
 けれど、やはりおじいさんは仕事をしていました。ホルジャーの鎧を彫っていました。
 仕事を仕上げてしまうと、全体の姿を眺めました。それから、人に聞いたり本で読んだりしたこと、また晩方少年に話したことを考えました。彼は頭(かしら)を下げて眼鏡(めがね)を拭いました。そして、言いました、
「ああ、ホルジャーは私が生きている間には洞穴から出てこないだろう。けれど、今あちらのベッドの中にいる孫は、ひょっとしたらホルジャーを見るかもしれない」
 おじいさんはもういっぺん頭を下げました。そして見れば見るほどおじいさいの彫ったホルジャーは立派でありました。
 色で彩られているように思えました。鎧は本当の鉄のようにキラキラと光ってるように思えました。その腕に彫ってあるハートは段々赤くなってゆくように思えました。
 鎧に彫ってあるライオンは飛び出してくるように思えました。
「本当に、どこの国にもない立派な鎧だ!」とおじいさんは言いました。
「ライオンはホルジャーの強いことを表している、ハートは優しいことと愛とを表しているのだ」
 おじいさんは一番上のライオンを見て、カヌート王のことを思い出しました。カヌート王はデンマルクの玉座のためにあのイングランドのゆうことに従わなかったのであります。おじいさんは二番目のライオンを見ました。
 そしてヴァルデマルを思い出しました。ヴァルデマルは、ばらばらになっていたデンマルクを一つにまとめ、ウエンドを打ち負かしたのであります。それから、おじいさんは三番目のライオンに目を移しました。マーガレットを思い起こしました。マーガレットは、デンマルクとスエーデンとノールウェイとを結びつけたのであります。おじいさんは残りのハートを見ました。それは前よりも一層きれいに見えました。そして、燃えている炎のように見えました。おじいさんの思いはそのハートに従って、次から次へと続きました。
 おじいさんは最初のハートを見ると、真っ暗な狭い牢獄が目に浮んできました。牢獄の中には美しい婦人が閉じこめられいました。その婦人はクリスチャン・ザ・フォースの娘でありました。そして、おじいさんの見てるハートの炎は、婦人の胸の上に燃えていました。そして、デンマルクのどの婦人よりも尊い心臓の上で薔薇の花のように輝きました。
「婦人の心はきれいだな」
と、年取ったおじいさんは呟きました。おじいさんは二つ目のハートの炎を見ると、海が目に映りました。大砲が轟(とどろ)いていました。船は煙に包まれていました。そしておじいさんの見ているハートの炎は、ヴィットフェルトの胸の上に騎士の勲章のように光っていました。ヴィットフェルトは、デンマルクの軍艦を救うために、自分の体と自分の船を爆発させてしまいました。
 おじいさんは、三つ目のハートを見ました。すると、おじいさんの目には、グリーンランドのみすぼらしい小屋が映りました。
 そこには一人の坊(ぼん)さんハンス・エディーデが立っていました。そして、エディーデの言葉と動作の中には美しい愛が含まれていました。おじいさいの見ているハートの炎は、ハンス・エディーデの胸の上で彼の美しい心を指し示しながら燃えていました。
 おじいさんは四番目のハートに目を移しました。おじいさんは今度はどんなところが目に映るかよく知っていました。農夫のお上さんの寂(さみ)しい部屋が映りました。フレデリック六世が立っていられました。
 そして、天井にチョークでご自分の名前を書いていられました。
 ハートの炎はフレデリック六世の胸の上で輝きました。フレデリック六世がデンマルクの兵隊のことに心を用いられるようになったのは、その農夫の小屋の中でありました。
 おじいさんは目をこすりました。おじいさんは銀色の髪と青い優しい目をもったフレデリック王を知っていたし、フレデリック王にお仕えしたこともありましたからです。おじいさんは手を合わせて黙ってフレデリック王を見つめていました。ちょうどその時、おじいさんの息子のお嫁さんがやってきて、
「もう、遅いんですよ。もう仕事をよす時ですよ。夕ご飯の支度はできています」
と告げました。
「けど、ああきれいな彫刻ね、おじいさん! ホルジャーですね。ああ、きれいな鎧! 私は前にこの顔を見たことがあるような気がしますよ」
と息子のお嫁さんは言いました。
「いや、お前は見たことはない。私は見たことがあるよ。だから私は見た通りの顔を彫ろうと思ったんだ。私がホルジャーを見たのは沖にイギリスの軍艦が見えたあの四月二日だった。ああ、あの時には私たちはイギリスの船と戦って私たちが古いデンマルクの国の人間であるとゆうことを示してやったっけ! 私は、スティーン・ビルの船の乗組員だった。私はデンマルク号とゆう船の甲板の上に立っていた。私のそばには一人の男がいた。敵の方からくる大砲の弾は、その男を怖がってその男を避けているようだった。その男は愉快な古い歌をうたった。そして大砲を撃った、戦った。死ぬことなどちっとも知らないように。
 私は今でもその男の顔を思い出すことができる。けれど、そのときから私はその男を見たことがない。本当だよ、誰もその男を見ない。私は時々、その男はホルジャーであったに違いないと思うよ。ホルジャーが私たちが危ないのを見て、助けるためにクロンボーグの城から泳いで来たんだと思うよ。いや、これは私の当てずっぽうかも知れない。けれど確かに私のそばには、ホルジャーによく似た男が居たんだ」
と、おじいさんは話しました。
 彫刻の影は壁から天井まで映っていました。そしてその影は、ちょうど生きてるホルジャーがそこに立っているように動きました。蠟燭(ろうそく)の炎がふらふらと揺れていたからでしょう。
 息子のお嫁さんは、おじいさんにキッスしてからおじいさんをご飯場の大きな肘掛け椅子のところへ連れてゆきました。おじいさんと息子と息子のお嫁さんは、テーブルに付いて、夕ご飯を食べました。ご飯を食べながらおじいさんは、あのライオンとハートについて話をしました。また、愛と力について話しました。
 それから彼は、人間が刀で人を斬るときの勇気とはまったく違った勇気があるものだと話しました。五、六冊の古いよく読まれて、よく擦り切れている書物が乗っている棚を指さしました。そこにはホルベルグとゆう人の喜劇を書いた本がありました。この喜劇は人々に何度も何度も読まれたのです。大変おもしろく書かれてありましたから。
「ね、ホルベルグも彫刻することを知っていたんだよ。彼は人々の移りやすい心と機嫌とゆうものを彫り出したのさ」
と、おじいさんは言いました。

(終)


出典:『校定 新美南吉全集 第10巻』(大日本図書)

※原文は、ほぼ全てカタカナ。漢字ひらがな表記に改める。漢字の用字、句読点などは、筆者による。
「デンマルク」と「デンマーク」の表記のゆれは、「デンマルク」統一した。
大砲の弾は、その男を「怖がって」の箇所の原文は、「コワガワツテ」だが、筆者の判断で上記のようにした。

※新美南吉の著作権は消滅している。

[筆者注]
※下記は、筆者がネットでざっと調べたものなので間違いがあるかもしれません。一参考情報と思ってください。

オジェ・ル・ダノワ(デンマーク人のオジェ)
中世フランスの武勲詩に登場するシャルルマーニュ(カール大帝)の伝説的な十二勇士(パラディン)の一人。
デンマークでは「ホルガー・ダンスク(Holger Danske)」として知られ、地元の英雄とされている。
デンマークのクロンボー城地下に、オジェの石像が眠っているという伝説がある。

「カヌート王」クヌート1世(990頃-1035)。イングランド王。

「ワルデマル」ヴァルデマー1世(1131-1182)。デンマーク王。

「ウエンド」
ウェンド人。ヴェンド人。ゲルマン人の居住地の近郊、またはその領域内に住むスラヴ人の集団。

「マーガレット」
マルグレーテ1世(1353-1412)。デンマーク女王。
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの事実上の支配者。

「クリスチャン・ザ・フォース」
クリスチャン4世(1577-1648)。デンマーク=ノルウェー王。

「ヴィットフェルト」ヴィトフェルト。フィットフェルト。ヒュイトフェルト。
イーヴァル・ヒュイトフェルト(1665–1710)
デンマーク=ノルウェーの貴族、海軍軍人。

「ハンス・エディーデ」
ハンス・エゲデ(1686-1758)。
デンマーク=ノルウェーのルター派牧師、宣教師。

「フレデリック六世」
フレデリク6世(1768-1839)。デンマーク王。

「スティーン・ビル」
スティーン・アンデルセン・ビル(1751-1833)のことか。
デンマークの海軍将校。

「ホルベルグ」
ルズヴィ・ホルベア(1684–1754)
ノルウェー出身で主にデンマークで活躍した「デンマーク文学の父」と称される劇作家・詩人・歴史家。

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