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「老婆の手紙」上杉鷹山

安永6年12月6日(1778年1月4日)、米沢西郊の遠山村(米沢市遠山町)のヒデヨという老婆が、嫁ぎ先の娘に宛てて書いた手紙。


一トフデ申シ上ゲマイラセ候アレカラオトサタナク候アイダ
タツシヤデカセキオルモノトオモイオリ候
オラエモタッシャデオルアンシンナサレタク候
アキエネノザンギリボシシマイユーダチガキソウデキヲモンデイタラ
ニタリノオサムライトリカカツテオテツダイウケテ
カエリニカリアゲモチアゲモウスドコヘオトドケスルカトキイタラ
オカミヤシキキタノゴモンカライウテオクトノコト
ソレデフクデモチ三十三マルメテモツテユキ候トコロ
オサムライドコロカオトノサマデアッタノデコシガヌケルバカリデタマゲハテ申シ候
ソシテゴホウビニギン五マイヲイタタキ候
ソレデカナイヂウトマゴコノコラズニタビくレヤリ候
オマイノコマツノニモヤルカラオトノサマヨリハイヨーモノトシテダイシニハカセラレベク候
ソシテマメニソタテラルベククレグレモネガイアゲ候
十二かつ六か
 トウベイ
 ヒデヨ
 おかのどの
ナホ申シアケ候マツノアシニアワヌトキワダイジニシマイオカルベク候
イサイショガツニオイデノトキハナスベク候

一筆申し上げ参らせそうろう。あれから音沙汰なく候間そうろうあいだ
達者で稼ぎおるものと思い候。
おらえ(私)も達者でおるので、安心なされたく候。
秋稲のざんぎり干ししまい、夕立がきそうで気を揉んでいたら、
二人のお侍通りかかってお手伝い受けて
帰りに、「刈り上げ餅、上げ申す、どこへお届けするか」と聞いたら、
「お上屋敷(=米沢城)北の御門から、言うておく」とのこと。
それで福田餅、三十三枚丸めて持って行き候ところ、
お侍どころかお殿様(鷹山公)であったので、腰が抜けるばかりでたまげはて申し候。
そしてご褒美に銀五枚頂き候。
それで家内中と孫子残らずに足袋くれやり候。
お前の子「松の」にもやるからお殿様より拝領ものとして大事に履かせられべく候。
そして、まめに育てらるべく、くれぐれも願い上げ候。
十二月六日
トウベイ[おそらく屋号]
ヒデヨ
おかのどの
なお申し上げ候。「松」の足に合わぬときは、大事にしまい置かるべく候。
委細正月においでの時、話すべく候。

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